これが死の直前の文字だろうか。
切腹した益田親施の辞世の句を見た時、これが死の直前の文字だろうか? いやはやなんとも美しい!芸術的、まるで絵画ですね、文字がものを言う…語りかけて、訴える感じです!その心が家臣に伝わり、維新前の幕府との戦いに勝てた原動力になり、更に28年後の男爵をさずかることにたながります。
近くの益田親施を祀る笠松神社へお詣りしました。
自分のルーツを確かめに行きました。
今は亡き祖母が言っていた、少し前の祖先は毛利家の家老、益田氏の須佐の家老だったそうです。
しかし、やはりわかりませんでした。
関ケ原の合戦で毛利家と一緒に西軍につき益田を追われ須佐の地に移った益田元祥以来の益田氏の歴史を学ぶことができます。
益田氏の、偉大さが分かりましたし、歴史は、素晴らしいと、感じました。
説明文やパネルが綺麗で良かったです。
展示品に対して展示ケースが大きすぎて展示品が小さく感じてしまいました。
益田氏の館がそのまま残っています。
毛利家永代家老益田氏の居館跡。
明治時代の改修と数年前の大洪水で元の姿から大分変わってしまったとのこと。
ちなみに益田家とは元はお隣益田市に本拠があった源氏系の武家で、吉川元春の引き合いによりその娘を娶り、毛利元就の傘下に入る。
関ヶ原で西軍に属し減封となった毛利家に従いこの地に移る。
その後も財政難の毛利家中において巧みな財政手腕を発揮し一族以外であるが永代家老となっている。
今は「みこと館」という愛称で呼ばれているそうです。
名前 |
須佐歴史民俗資料館 みこと館 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
08387-6-3916 |
住所 |
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営業時間 |
[火水木金土日] 9:00~16:30 [月] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
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須佐の歴史がわかる資料館です。
江戸時代、須佐の領主だった益田氏の館もあわせて見学できます。
「須佐」の地名の由来八岐大蛇(やまたのおろち)退治で有名な須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲の国から朝鮮半島(新羅国)に渡る際、高山の峰に立ち航路を定めたとされることから「須佐」という地名になりました。