靖国神社に大村益次郎の超巨大銅像があるのに地元は地...
旧大村神社はお墓参りの際に見ましたが、こじんまりとしていました。
結構立派で、綺麗に管理されていますが、地元にどれだけ根付いて居るのかなあ。
生前は地元では理解されなかった人ですからね、それもよしって思えました。
境内は池を臨みいい感じです。
山口県山口市『大村神社』になります⛩御祭神は『大村益次郎』さんです✨今日初めて益次郎さんの略歴を拝見しましたが、先進的かつ愛在る人柄が伝わってきました💕
綺麗な湖畔のほとりにある落ち着いた神社です。
御朱印は隣の記念館でいただけます。
御朱印は無料ですが、記念館の入場に100円必要です。
入場しなくても、御朱印は書いて下さいますが、折角なので拝見しました。
桜の頃は良いですよ。
大村神社。
御祭神 大村益次郎命。
旧大村神社社殿は防府市大字伊佐江鎮座、伊佐江八幡宮に移築。
維新の功労者、大村益次郎を祀った神社。
元は山上の益次郎の墓近くにあったが、近年景色の良い湖畔に移築。
隣接した郷土資料館に駐車場あり、益次郎の資料も展示。
御朱印もいただけますが数はこなせない模様。
(^^;
平成最後の建国記念日(紀元節)は、大村神社に参拝しました。
近代日本の軍制の創始者である大村益次郎(村田蔵六)がお祀りされている神社です。
幕末の四境戦争(第二次長州征討)では、石州口方面軍の参謀として実戦を指揮し、浜田城を陥落させ更には石見銀山を占領しました。
戊辰戦争では、上野寛永寺に集結した彰義隊約3千名をわずか1日で鎮圧し、懸念されていた江戸市中の大火を防ぎました。
益次郎は維新政府確立の大功労者の一人であることから明治2年7月、兵部大輔(次官)の要職に就き、これから近代日本の軍制建設を指導してゆくという時期に、京都木屋町の旅館で部下達との会食中、元長州藩士の神代直人ら八名の刺客(狂信的守旧派)に襲われ重傷を負いました。
その後、大阪の病院へ転院するも、病状が好転することのないまま、明治2年(1869年)11月5日に死去しました。
一説によると暗殺の黒幕は当時、京都弾正台であった海江田信義(薩摩出身:有村俊斎)とのことであります。
いずれにせよ、幕軍から長州を護った大恩人であり、又、鋳銭司村から輩出した郷土の偉人である益次郎を祀るため明治5年に地元の人々が、お墓の隣に神社を創建しました。
昭和21年(1946年)、長沢湖畔の現在地に建替えられたそうです。
拝殿の中に入れますので、展示してある益次郎の肖像画や妻・琴の写真、その他貴重な資料を是非御覧下さい! なお、大村神社に参拝された折りには、神社駐車場出口を右折し幅員の狭い道路を自動車で4分程進んだ場所に国指定史跡となっている大村先生の墓所がありますので、お立ち寄り頂ければと思います。
大村益次郎のお寺です。
大村神社です。
鋳銭司郷土館の横にあります。
靖国神社に大村益次郎の超巨大銅像があるのに地元は地味です もっと地元に有名になったらいいです。
小郡から防府に向かう途中、長沢池のほとりにある。
平日ということもあり、誰もいない。
司馬遼太郎の「花神」の碑がある以外は、ごく普通の神社だが、日本の軍隊を近代化に導いた大村を偲べる神社である。
御朱印は隣の郷土館で。
益次郎にあやかりたいです。
立派な神社です。
長沢池の近くに有る神社です。
神社の神様は確か歴史上の人物を神格した神様です。
近くの郷土資料館もいい感じてす。
昔から両親とよく来た長沢池に、火吹き達磨の神社があったとは知りませんでした。
名前 |
大村神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-yamaguti/jsearch3yamaguti.php?jinjya=6884 |
評価 |
3.9 |
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村田蔵六(大村益次郎)・花神の生地巡礼的な意味で⭐︎5です。
早歩き30秒ぐらいで鋳銭司郷土館に行けるので、そちらでより歴史を楽しんでください。