名前 |
石堂川の関所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
ここには博多に入る東の入り口である石堂口がありました。
石堂口は福岡藩の時代、参勤交代時の出発に使われるなど主要な入口として大きな木戸を備えた門があり番所が設置されていました。
また門には敵の側面から攻撃できる横矢かけが施され、橋を渡った直後にある寺と合わせて東側から攻め寄せる敵軍に対する防衛ラインを構築していました。
高杉晋作が元治元年、平尾山荘を抜け出て、この博多の町に潜伏したのが約4日間。
その間の足取りが最近やっとわかってきました。
平尾山荘から少し急ぎ足で歩くと、最初に潜伏した石堂橋あたりの水茶屋「若松屋」後に「常磐居」まで約2時間の道のり。
それから、その目の前にあるのが関所跡です。
今の石堂大橋あたり。
若松屋で月形洗蔵を待っていた高杉でしたが、待てど暮らせど現れないのでついに関所破りを決行。
変装の名人だった(?)高杉さんは、若松屋の使用人が着る半纏を着て、5〜6歳の女の子をおぶって、遊郭に用事があるふりをして関所を突破したようです。
現在の「大浜公民館」このあたりが、旧柳町遊郭街(その後移転して新柳町ができた)です。
柳町の「梅が枝屋」というところを根城にしていたようですね。