朝は人がまばらで密になっておりません。
行動制限が無くなり、太宰府天満宮にも以前の賑わいが戻ってきた。
意外に見どころが少ない福岡市において、非常に貴重な観光スポットになっている。
初詣の参拝者は、九州随一。
狛犬の目力が強すぎる。
久しぶりの太宰府天満宮でした(約30年ぶり)。
人が多くてちょっとわちゃわちゃしている。
観光客の多くは韓国人と中国系(多分台湾系かな)の方でした。
博多を尋ねるにあたり、太宰府天満宮に必ず行こうと嫁さんと話していました。
どのように訪ねたのか全く記憶にない高校の修学旅行以来の訪問です(笑)今の仕事柄、太宰府天満宮には足を向けられません。
御札を購入して職場に祀ります。
ありがとうございました。
現在の本殿は1591年に筑前国主・小早川隆景公が寄進したもの両流造り、桧皮葺ひわだぶき、身舎もや正面五間、側面一間、中間に角柱を建てて二間正・背面庇ひさし各五間、正面孫庇五間、孫庇の左右に唐破風造の車寄くるまよせ各一間、正面に唐破風造の向拝を付け、木部は重厚に才色されている建立からすでに400年の歳月を経て屋根の痛みがひどく平成2年に葺替え工事が行われた道真の墓は本殿の中央にせり出した内内陣の真下にある入れるのは宮司だけ更衣祭などに棺の周囲を掃き清めるという。
室内は真っ暗10畳くらい本殿と9枚の棟札は国の重要文化財に指定されている神殿は戦国時代兵火により何度も焼失した。
その最後は1578年秋月種実と高橋紹運の戦いであった敗走する秋月勢に放火されて焼亡する天満宮本殿の柱に宮司勾当坊栄重は自らをしばりつけ神霊に詫び秋月の暴逆を憤り焼死した。
朝は人がまばらで密になっておりません。
お参りも自由にすることができます。
境内内には池があり、鯉もいます。
3月春分の日に訪問。
まだ春浅い感じですが、梅がほんの少し綻びかけていました。
境内は受験生とその家族や、観光客で大変賑わっていました。
あたりには梅の木が多くあり、道真公は梅の花を好んだということで植樹したのであろう。
一説には死後怨霊と化し、様々な人々を呪い陥れたと言われているが、今では当然のことながらそのようなことは微塵も感じられずに学問の神様として崇められている。
広い敷地に沢山の参詣スポットがあるのだが今回は時間もなくサラッとお参りだけしてきました。
参道で売っていた焼き餅は中にあんこが入っていて美味しかったです。
道真公は、承和12年(845)に京都でお生まれになりました。
幼少期より学問の才能を発揮され、努力を重ねられることで、一流の学者・政治家・文人としてご活躍なさいました。
しかし、無実ながら政略により京都から大宰府に流され、延喜3年(903)2月25日、道真公はお住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において、ご生涯を終えられました。
門弟であった味酒安行(うまさけ やすゆき)が御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることとなりました。
延喜5年(905)、御墓所の上に祀廟(しびょう)が創建され、延喜19年(919)には勅命により立派なご社殿が建立されました。
その後、道真公の無実が証明され、「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神様の御位を贈られ、「天神さま」と崇められるようになりました。
長い年月、道真公へのご崇敬は絶え間なく続き、御墓所でもある太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称。
・元号「令和 」の元になった詩が刻まれてる石碑があります。
・名物の梅ヶ枝餅は焼きたてがめちゃめちゃ熱いけど旨い!・「梅ひじき」はご飯にかけたりおにぎりには最高に旨いです☺️・御朱印はめちゃめちゃ並んでるので記入して頂きたい方は時間に余裕がある方がよいです。
言わずと知れた菅原道真公を祀る聖地ですが、太宰府にあるという意味を日本人なら知るべきでしょう。
太宰府は今で言う横浜や大阪。
当時、日本の玄関口で中国や朝鮮からの使者を丁重にもてなし政府の出先機関の様な重要な存在。
左遷的な意味合いで取られる事が多い菅原道真公の着任を重要なポストへの派遣と捉えて考えてみるのも別の見方が出来ていいかもです。
受験とは無縁の年齢になっても『頭がよくなります様に!』と願ってしまう。
919年造営、1591年小早川隆景によって再建された「太宰府天満宮 本殿」。
その建築様式は五間社流造、正面向拝一間・軒唐破風付き、左右側面各一間車寄・軒唐破風。
主祭神は菅原道真公。
1907年に国指定重要文化財とされる。
本殿両脇には右手側から飛梅、皇宮の梅(きさいのうめ)が控える。
境内には外国人観光客も含む多数の方々が参拝に訪れるためか、静謐とは程遠いなかなか騒々しいのは残念なところではあります(^~^)
回廊 に 囲まれた 本殿 は延喜3年(903年)2月25日 59歳 でお亡くなりに なられた菅原道真公 を 乗せた 牛車 が太宰府 での 住屋 の 南館 後にし牛が 動かなくなった 所に葬る ように との 遺言に したがって埋葬 されましたその場所 が 本殿の 地 です太宰府天満宮 の 宮司の 方は代々 菅原道真公 の 子孫の 家筋の高辻家(現在の 西高辻家)が 務められて います御朱印 を 書いて 頂ける 所の長い 行列は回廊の 外まで 続いて います。
やっと拝観出来ました。
素晴らしい。
菅原道真公にお詣りしました。
3度目の参拝ですので、金曜土曜は20時に閉門ということで夕方から夜の時間に訪れてみました。
梅ヶ枝餅をどうしても食べたかったので、かさの家さんが18時まで開いているのを調べ17時半頃到着。
少し時間をおいてから、18時〜18時半の短いマジックアワーに参拝しました。
人は まばらで涼しく、空の水色、本殿の朱色、濃い緑、暖かなライトアップが美しく、泣きそうになりました。
バスに乗り込み向かう途中、高速を走ってる時に大きい黒豚がトラックで運ばれてるのを眺めてたら石畳の綺麗な駅から数十分で着きました。
神社までの道程は背の低い建物が多く、遠くを眺めると緑の自然が沢山ありとても穏やかな気分で向かいました。
午前中に行った所為なのか団体客が殆ど居ない境内にはわかりやすく歴史を解説している所も有り、お参りのつもりがいつの間にか目的を忘れて歴史に触れて凄く楽しみながら建物の中を散策できました。
神社ですが観光地のお城を見に行って歴史に触れて来た時の気持ちと同じで、昔の日本を学べるとても良い所です。
可愛いお守りが沢山あるのでお土産にはお勧めです。
絢爛豪華かつ荘厳なのにどことなく詫び寂を感じさせるその佇まい、いいですねぇ。
さすが学問の神様を祀ってある天満宮だと敬服した僕がいた。
梅が満開の時期でした。
中国韓国の人でごった返してかなりの喧騒です。
学問の神様、合格祈願に、多くの人が、来られます。
周りにたくさん駐車場もあって良かった。
朝8時頃、合格祈願に行きました。
参拝者も少なく久しぶりに境内を見回す事が出来ました。
朝、早かったので、参道のお店がまだ殆ど開いてませんでした。
唯一、開いているお店で梅ヶ枝餅を買い歩きながら食べました。
ラップに包まれていないので外側はパリッとしてとても美味しかったです。
(o^-')b !
道真公の御墓所に延喜5年(905)8月19日、門弟の味酒安行(うまさけ やすゆき)が祠廟(しびょう)を建て、同19年(919)、左大臣 藤原仲平が醍醐天皇の勅令を受けて御社殿を造営しました。
その後、兵火などにより数度焼失しましたが、筑前国主 小早川隆景が5ヶ年かけて造営し、天正19年(1591)に竣工したのが現在の御本殿です。
五間社流造(ごけんしゃながれづくり)で檜皮葺の屋根を備え、築400年以上を経過した現在でも桃山時代の豪壮華麗な様式を見事に伝えています。
国の重要文化財に指定されています。
名前 |
太宰府天満宮 本殿 |
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ジャンル |
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電話番号 |
092-922-8225 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.5 |
令和5年5月から約3年間、124年ぶりに御本殿大改修。
改修期間中は御本殿前に仮殿がつくられる。
仮殿は、藤本壮介建築設計事務所によるもの。
ある意味この3年間しか見られない貴重な景色となりそうです。
写真は大改修前の本殿です。