幽閉の地だけあって、寂しい所。
小説『月神』で知りました。
黒田藩や秋月藩には、貴重な勤王派の方々がいました。
月形洗蔵、臼井亘理など生きていれば維新時期も変わっていただろうし、明治政府における福岡の状況も、随分と変わっていたのでは無いでしょうか? 薩長同盟の立役者として、英雄的に第一線で取り上げられて、何度となくドラマ化・映画化されている有名な方もいますが、本来の功労者はこのような人たちですね…。
史実はどこかでゆがんだり、消されたりでしょうか? 歴史に埋もれてしまうには余りに勿体ない方々です。
まだまだ日本には、掘り起こさねばならない方々がたくさんいますね。
鉄矢さん、地元の偉人を取り上げて下さい。
幽閉の地だけあって、寂しい所。
月形洗蔵:文政11年(1828年)福岡藩藩儒月形深蔵の長男として生まれる。
万延元年(1860年)桜田門外の変後、参勤交代の中止や尊皇攘夷論に基づく建白書を藩主に提出する事によりこの地に幽閉される。
文久3年(1863年)釈放後、第1次長州征伐の中止や薩長の連携を提案、三条実美ら五卿の太宰府への動座にも尽力する。
慶応元年(1865年)、藩内佐幕派の台頭により10月23日に斬首、享年38歳。
後に戯曲「月形半平太」で土佐の武市半平太と共に主人公のモデルとなる。
「月様雨が…」と傘を差し出す舞妓雛菊を「春雨じゃ濡れて参ろう」と制する場面は有名。
高速の高架をくぐり、山の方のは少し歩くと、自家焙煎と天然水の美味しい喫茶店が有ります。
名前 |
月形洗蔵幽閉の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
月形洗蔵(つきがたせんぞう)は、江戸時代末期の福岡藩士です。
尊王派であったことと藩の汚職を批判したため捕らえられ、この地に幽閉されました。私はこの石碑で初めてこの人物を知りました。
彼のことを知っている人がどれだけいるでしょうか。
その土地にゆかりのある人物や出来事をこうして記して残すのは、学びになり素晴らしいことです。
石碑は大きく立派で、高速道路の高架下にあります。