釜屋神社の楠は矢部川を挟み黒木側と立花側にある釜屋...
【駐車場情報】駐車場はあります!鳥居右手に、川辺に近づいていくような感じで、スペースがあり、そこに数台は停めれます ゴミは必ず持ち帰りましょう。
2021春こころ旅984日目八女市の旅で火野正平さんが南仙橋へ向かう途中で下の河原でお昼ご飯を食べる前にこの楠を見て感動してました。
ちなみに食べたのはテイクアウトのカレーと頂き物のイチゴでした(*´ω`*)
釜屋神社の楠(天然記念物)町指定 昭和六三年三月二九日所在地 黒木町大字湯辺田神道一 神社の由来明治一年六月、神仏の区別に関する令の布告(神仏判然令)により、報告した書の控による。
当社は桓武天皇の延暦元年(七八二)本分(ほんぶん)村に祀られていた中瀬神社を黒木助能(すけよし)が建磐竜(たけいわたつ)神と相祀り、田形村に移し、釜屋宮と改めた。
祭神は祢都波能売神(みつはのめのかみ)(水神)。
寛永二年(一六二五)神木のある現地に社を建て、湯辺田村の氏神釜屋宮と称する。
二 樹勢神木は神社創建前から矢部川の北岸、大岩盤上にそびえていた楠である。
根元土際(つちきわ)周囲ー十八、五m。
地上一、五mの幹まわりー一〇、五m。
樹高根よりー二十三、五m。
樹齢ー約六〇〇年。
(他に楠に関する伝説あり)黒木町教育委員会境内掲示板ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー豊岡村釜屋神社 無格社 大字湯邊田字神道祭神は岡象女神、瀬織津姫神、速開都姫神の三柱とす。
南田形釜屋官と矢部川を隔て南北に対峙せり。
元和七年辛酉年、久留米柳川ニ封に分かれ、北湯邉田は有馬家領となり、南田形は立花家領に帰したれば、当地には幸い往昔より楠神木有りたれば、寛永二乙丑年、新たに社殿を建築せり。
社職大石対馬は、柳川領釜屋宮の社を嫡子丹後に譲り、退隠して本社の社職を勤む。
これ田中氏時代なりと云う。
天正の頃、黒木の家臣椿原式部、当社へ参詣の砌り、酒興の上、大石の子孫対馬丹後兄弟と口論し、対馬兄弟は妻子を残し、暫く筑前国糟屋郡別府村附近に退き、其後本郷に帰りしと云う。
伝説によれば当社神木を慶長年間根伐せしに、不思議なる神變ありて中止せりと、其斧跡今猶在りと云ふ。
旧藩時代には、祈祷所にて今尚遠近信仰の社なり。
例祭は九月十五日(開基帳には十一月十三日とあり)。
現今の社殿は、神殿一間の一間、拝殿は明治四十三年十月の改築にして、其広さ二間半の二間なり。
境内三十六坪あり。
(寛文開基帳、寛延記、筑後志、神社明細帳)八女郡史ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー釜屋神社 罔象女神、瀬織津姫神、速開都姫神福岡県神社誌 下巻。
ここから見る川がきれいです!
心のよりどころ。
釜屋神社の楠は矢部川を挟み黒木側と立花側にある釜屋神社の黒木側に立っています。
釜屋神社の楠は突き出た岩盤に根を張った荒々しさが特徴で、とても強い生命力を感じさせられます。
すっと立ったお行儀のよい巨木に飽きた巨木ファンには特におすすめです。
名前 |
釜屋神社の楠 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ

瀬織津姫命 八月には ニギハヤヒの尊 参拝させていただきます。