父が回復期リハビリテーション病棟で半年間お世話にな...
大好きなかかりつけ医からの紹介で、心療内科を受診しました。
「優しくて良い先生だよ」との言葉通り、柔らかい雰囲気の優しい男性で、気さくに話し合う事ができて楽しかったです。
ただ、この病院自体が割と大きな施設なので、診察券を提出〜診察・会計〜薬局受け取りまでが約2〜3時間と、大変長いのがネックでした。
リハビリテーション科以外は、知らない事を前提に話しますね。
可もなく不可もなくです。
職員は皆、疲れ果てています。
医者も看護師もケアマネージャーも同じ人間。
【聖人では無いのです。
過分な期待は、どうか、なさらないようにお願いします。
】事務方と現場の意識の違いは、何処の医療現場でも同じ事でしょう?医師に看護師が、【意見を言えない事は問題だとも感じていますが、権力を持った者の考え方次第だとも思います。
】批判するのは簡単ですが…医療関係者達も、人間関係と、患者と患者の家族達への対応にも疲れ果てている事を忘れないでください。
【聖域では無い事を肝に銘じてください。
良く調べて簡単に情報だけを信用しないでください。
過度な期待は、禁物です。
…善意で、医療をしているワケじゃないのですから。
仕事だからしているだけです。
治る患者以外は、やり甲斐が無いのです。
】回復期が、過ぎたら施設への流れです。
または永久に続くリハビリ通院でしょうか。
病を患っている方々『早期の回復を切に願っています。
』☆セカンドオピニオンを忘れないで下さい。
『生きていたいなら、諦めないで下さい。
』
可もなく不可もなく…職員は皆疲れている。
医者も看護師もケアマネージャーも同じ人間。
職場の待遇と人間関係と、患者と患者の家族達への対応にも疲れ果てている。
【聖域では無い事を肝に銘じるべし!期待するな…善意で、医療をしている理由じゃない。
仕事だからしているだけだ。
】病を患っている方々『早期の回復を切に願っています。
』☆セカンドオピニオンを忘れないで下さい。
*生きていたいなら、諦めないで下さい。
心療内科で入院していました。
担当医(内科部長)から、自己愛が強い、友達もいなくなる、精神科紹介しようか?、君は自滅したんだね、他の患者に迷惑、ここの看護師はみんな君の心配をしなくてはいけないのか?など様々な心無い自己否定されるような言葉をあびせられました。
薬をどんどん追加され、その度に副作用が出て、苦しくて訴えても担当医は話をまともに聞いてくれませんでした。
不安でたまらず、体が震えていた時も、ヒステリーと言われ、セレネースと呼ばれる劇薬を注射され、ろれつが回らなくなりました。
一ヶ月、その症状は続きました。
きわめつけは、担当医が母に電話で「娘さん、どうかしてくれませんか?」と言い、心も身体もボロボロになっていた私は、自主退院しました。
本当に最低の病院です。
今は地元のクリニックに通っていますが、薬も必要ないものばかりで副作用の恐ろしいものがたくさん出ていました。
今は本当に少しの薬で療養しています。
続きです。
1年経ってようやく続きを書けます。
この1年間、湯布院病院での出来事のフラッシュバックとの闘いでもありました。
自主退院を決めた日は、注射を打たれ、ろれつが回らない状態で、担当医と女性の看護師さん10名くらい、そして看護師長が私の今後の入院生活について、みんなで話しているから…と呼ばれて、ある部屋に入っていきました。
魔女裁判のような状態でした。
そこで、『君は頑張っていない』『ここにいる看護師はみんな君の心配をしないといけないのか!?』と問われ、私は女性の看護師さん全員に頭を下げて謝らせられました。
そして、『前回の入院で君の話を聞いたのは何のためだったと思うか?』と問われ、私は『私を理解してくれるためだと思います。
』と言ったところ、『君のことを知らないと、こうやって君を怒れないだろ!』と言われました。
そこで、自主退院を迷いながらも決めました。
入院中は、心療内科の担当医からは『解離性うつ病』と診断され、カウンセリング担当のカウンセラーも、その診断のもとカウンセリングを進めていきました。
私は自分の病名を知ってから、自分の中に2つの人格がないといけないような気持ちになり、不安が増し、身体が震えるとヒステリーと呼ばれました。
夜もほとんど眠れませんでした。
同室の同じくらいの年齢の子たちも眠れない夜を過ごしていました。
ですが、眠れない、と言えば薬が増える…そういう気持ちからか、みんな担当医には黙っていました。
私は訴えて、薬が変わって、副作用が出ての繰り返しでした。
それを、担当医に『〇〇という薬からの副作用ではないですか?』と聞いてくれるような看護師はいませんでした。
私は弟が大きな大学病院に看護師として勤務しているので、退院した後、弟から『担当医に意見する看護師はいなかったのか?』と聞かれ、『誰もいなかったよ。
』と答えました。
弟は『一番長く、患者さんと一緒にいるのは看護師だから、看護師が薬の把握(効能、副作用)を理解して、薬が変わったりした時はその変化を敏感に感じ取り、医師に報告するのが義務だ』と言っていました。
湯布院病院の看護師もカウンセラーも担当医の言いなりです。
そして、私が不安で落ち着かず、気持ちがイライラ、ソワソワしている時にナースコールを押して、来てくれた看護師の中には、私が気分を紛らわすために持って行っていた、塗り絵を強制してさせて、『上手よ~』と言ったりする看護師もいました。
私が手が震えているにも関わらず…中には、私の話を丁寧に聞いてくれる看護師さんもいましたが、状況が変わることはありませんでした。
心療内科の担当医は『君には大人の人格と子どもの人格がある。
遅くまで残って仕事をせざるをえなかったのは、子どもの人格が出てきていたからだ。
だから、料理を覚えなさい。
そうすれば、一つの作業だけではなく他の作業と並行して、いろんな事が出来るようになるから』と言われました。
私は合点がいかず、なぜそんなことを言うのだろう…と思っていました。
私の勤務していた職場は、皆さん残業が多く、早く帰れない雰囲気の場所でした。
そのため、私は自分のその日の仕事が終わっても、帰れないので、前倒しに仕事をしていました。
私は合点が合わないけれども、担当医の言うことを信じようと思いました。
今思えばこそ、人を疑うという心持ちがなく、素直に何でも受け入れていた自分が間違っていたのではないかと思いますが…。
自主退院当日、母と親戚が私を迎えに来てくれました。
母はカウンセラーと看護師長の前で、たくさん話してきて、心療内科の担当医とは話したくないと言いましたが、どうしても…と言われ話すことになりました。
担当医の一言目は『僕がすごく悪いことをしたようになっているみたいですけど…』でした。
母は弁明だな…と思い、適当に相槌をうっていたそうです。
しかし、言うところは言うと、『あなたも娘さんと同じ病気ですかね』と言われたそうです。
母は怒り、顔も見ずに弁明を聞いていたそうです。
話を聞いているうちに、何となく違和感を覚えた母が、『娘が勤務していた場所は、早く帰れない雰囲気の場所で有名で、朝は早くから、夜は8時を超えないと帰れないような所でしたよ。
娘は仕事も人並みには充分出来ていたようで、余った時間を使って一週間後の仕事もしていたみたいですよ。
』と言ったところ、心療内科の担当医は腰掛けていた椅子をガラガラと後ろに引き、何かを考え込んだ後、『それなら、誰でも壊れますよね。
』の一言。
そして、表情も変わり『僕は娘さんに対して怒っても何もいないので、もし僕で力になれることがあれば、いつでも来てください。
』と言ったそうです。
誤診でした。
私の話を聞こうとせず、最初から決めつけて診断されていました。
数ヶ月経って、精神保健福祉士の免許を持っている友達と話す機会があり、話してみると、『それは適応障害で入院するまでもなかったよ。
逆にそこまで酷いことをされて、よく人格崩壊起こさなかったね。
〇〇ちゃんは強いよ。
』と言ってくれました。
皆さん、これから、湯布院病院の心療内科を受診しようかな…と考えていらっしゃる方、気をつけて下さい。
本当に私は恐ろしい体験をしたと自分でも思います。
もし、自主退院せずに期間一杯いたら、私は今頃、精神科の独房にいる気がしてなりません。
それだけ、めちゃくちゃにされました。
そして、一年経った今でも、こんなに克明にその時の記憶があるんです。
本当に恐ろしい病院です。
整形外科では評判の良い病院のようですが、心療内科は危険です。
だから、きちんとリサーチして、他のもっと良い病院を探してください。
私と同じような思いをして欲しくない。
切実な願いです。
観光で湯布院に来て、妹が急に体調が悪くて見てほしいとお願いして電話しました。
症状だけ聞いて見てくれようともせず早く自宅に帰れば?と突き放された。
家が遠く北九州のほうなので、見るだけお願いしたいと言っても冷たく突き放された。
ビックリして言葉がでなかった。
最低‥それでもあなたお医者ですか?
名前 |
JCHO湯布院病院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0977-84-3171 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金] 8:30~11:00 [土日] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
2.6 |
父が回復期リハビリテーション病棟で半年間お世話になりました。
一人一人本当に明るく、しっかりとしたチームスタッフさんに巡り合い、支えてもらえました。
退院は制度上仕方のない事でしたが、可能であればここでもっとリハビリしてもらいたかったです。