安徳宮へ歩く歴史散策!
安徳宮(安徳天皇那珂川行在所伝承地)の特徴
安徳天皇が滞在した歴史的なスポットです。
安徳宮へのアクセスは安徳台展望所から徒歩で行けます。
那珂川市の歴史を感じながら散策できる場所です。
2年以上前新幹線博多駅から博多南駅、何百円で時間も10分?駅からかわせみバス、安徳台で降り公民館(現在民家?)から高台へ登り本当は耕作関係者以外ダメなのですが誰も外で出会わず耕作地に踏み入れないよう注意して、すると祠と石碑が平家都落ちから原田種直公がこの地の私邸を提供し、その後大宰府から緒方惟義の攻撃で芦屋の山鹿秀遠に匿われ門司の柳の御所、彦島から屋島へと安徳天皇と平家は遷宮を繰り返したので此処の御座所はそう長くはなかったと思われますが水の奇麗な所で明らかに台地として周囲から独立した所なので場所は分かりやすいですが正確な史跡は探しますその他神功皇后や原田種直・少弐景資関係の岩門城址等色々あります。
安徳天皇は壇ノ浦の合戦の前に2ヶ月の間、こちらに滞在していました。
なので、安徳台という地名です。
周りにある地名、御迎、嘘谷、老松は、土地の人が、天皇を敵から匿った伝承に由来しています。
安徳宮は、合戦で亡くなられた後、土地の人が偲んで作られました。
安徳宮に行くには……安徳台展望所への登り口が入り口になります。
駐車場は、すぐ近くの裂田の溝の施設がトイレ付きの駐車場を用意してるのでそこを利用するのがいいでしょう。
肝心の安徳宮ですが展望所への行く途中の畑の中突っ切って行く……目印無いので、ほぼ運任せなので諦めずじっくり探すしかありません……と思ってましたがいつの間にか案内標識が出来ました。
これで安心して行けますね。
高倉天皇と平清盛の娘、徳子との間に出来た子が安徳天皇です。
1178~1185年、まもなく81代天皇に即位すると運悪く、源平争乱が勃発で都を追われた平家一門は筑紫の国に難を逃れたのがこちらの台地です。
やがて1185年壇ノ浦で源義経の軍に敗れ、清盛の妻、時子と共にわずか8歳にて入水されたそうです。
時代に翻弄された悲劇の天皇ですね。
のちにこの地を安徳台とよばれるようになりました。
安徳台にお越しの際は目印も道案内もありませんのでかなり戸惑うと思います。
また、こちらは耕作地ですから駐車場もありません。
ご注意を。
那珂川市の歴史を感じさせてくれるスポットですね。
6歳でなくなった安徳天皇の祠です。
安徳台に建立されております。
車では行けず、近くから歩いてアタック。
冒険感がありました。
歴史深い場所です。
歴史ある場所です。
安徳天皇はこの地に訪れた事は無かったと思うが、何かのご縁が無ければこの様な地名を付け祀り上げる事は無いと思う。
当時に思いを馳せらと歴史ロマンを感じる。
名前 |
安徳宮(安徳天皇那珂川行在所伝承地) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
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安徳宮のあるこの大地一帯を安徳台と云われています。
この台地は約9万年前に阿蘇山が大噴火をおこし、その火砕流でできた台地です。
平安時代には、平家の有力武将の太宰少弐に任じられた原田種直の居館がありました。
源平合戦の折、九州に下行された安徳天皇を、原田種直がお招きされました。
それがこの場所だといわれています。