景行天皇による土蜘蛛退治が記されている。
薄暗く神秘的なスポットです。
昭和初期は地元の小学生が遠足に行っていたとのことです。
今後の保存が心配です。
第12代景行天皇12年、土蜘蛛征伐の際の行宮として当地に滞在した際、景行天皇が伊邪那岐命・伊邪那美命の二神を緩木山中に祀ったことが始まりという。
平安時代末期の永暦元年(1160)、平清盛の長男平重盛は緩木山に緩木城を築き、中尾氏に守備させた。
その際、中尾氏は当社を城の鎮守として崇敬した。
元は標高1046メートルの緩木山の山中に鎮座したが、戦国時代の天正12年(1584年)、大友宗麟による寺社排撃、天正14年(1586年)の薩摩軍侵攻と二度にわたって社殿が破壊された。
その後も一応再興されたが、登拝路が厳しく、冬季の祭典も困難なため、江戸時代になり、元禄7年(1694)に緩木山北西麓の現社地に遷座した。
元宮は現在、奥院として石祠や石塔などが残っている。
名前 |
緩木神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
景行天皇による土蜘蛛退治が記されている。
この辺り一帯は、ウガヤフキアエズ朝の残党としての一党が景行天皇により粛清された。