残した俳句は素晴らしいと思います。
山頭火がここで生まれたかと思うと感慨深いですね。
普通に住宅地の中にありますが、生家跡だけに、宇野千代さんの生家と違い、平成元年に建てた東屋がありました。
山頭火の小径を歩くと、山頭火記念館の裏に通じていました。
足を止めて、休める屋根つき。
何気ない住宅街にぽこっとあるのが面白い。
車の通りが結構あるので、写真撮影などで道を渡る時は注意が必要と思います。
ふるさと館からここまでの山頭火の小径を歩くと、ちょっとした運動になる。
車で来たら、うめてらすに停めるのがベスト。
ここはどうあっても、あくまでも跡なんです。
問い合わせは、防府市おもてなし観光課または入館無料の山頭火ふるさと館へ【 ※ 但 / 山頭火ふるさと館展示室への入室は別途観覧料が必要です! 】
とりあえず行って見ました。
椅子があるので、歩いて疲れたときには良いですね。
朝見学したのですが、地元の方だと思いますが掃除をされていました。
綺麗に維持させていますね。
生家跡なので石碑がある程度です。
無責任な放浪の人物として批判もありますが、残した俳句は素晴らしいと思います。
造り酒屋でもあった実家のようです。
お金持ちに生まれると、たくましさに欠けるものなのでしょうか。
ここから、彼の苦悩が始まったのかと思うと、感慨深いものがあります。
必ず来ようと思っていた場所に立てて、本当に良かったです。
種田山頭火の名前を初めて聞いたのは今は亡き名優川谷拓三がテレビで主役でやっていた貫八先生というドラマである。
あの金八先生シリーズの一作だ。
川谷拓三が朴訥と詠む山頭火の俳句のリズムに引き込まれたのを思い出した。
詳しくは知らないが丁度近くを通ったので立ち寄りました。
静かなところです。
流石に建物は残っていない。
近くに山頭火が学校に通うために歩いた道が、山頭火の小径として残っている。
歩いていると不思議な気持ちになる。
放浪の自由律俳人。
酒🍶と旅を愛する。
名前 |
山頭火生家跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
山頭火がここに住んだのは生まれてから19歳で大学に入学するまでと、身体をこわして大学を中退して帰ってきてから24歳のときに父親が防府市大道にあった酒造場を買収して移り住むまでの間だった。
その二年後に父親の酒造業は失敗し、ここの家は売り払われた。
現在は碑石と酒瓶が残るのみ。
それもまた、山頭火らしいといえば、らしい。