『上総国町村誌』に以下の記述あり。
『上総国町村誌』に以下の記述あり。
中古は市西荘と称した。
明治初期、戸数53、人口288、馬28、河舟1段別96町5段8畝18歩地税297円66銭氏神 前広神社 上の原にあり。
大山祇命を祀る。
貞観10年9月17日正六位上、前広神に従五位下を授けられた(三代実録)寺 西広院 真言宗(以上、『上総国町村誌』より)養老川を見下ろす高台にあり、対岸に神代神社がある。
前広神社の訓について、「さきひろ」が転じて「さいひろ」。
音+訓の語構成のようになっているが訓+訓の語構成。
「西広」という名には、往生思想(夕日を心に荘厳して祈ると、極楽往生できる)の影響もある?境内は神域の限界まで削り取られてしまい、数百年は経ているであろう大樹が弱っている。
境内には疱瘡神などが祀られている。
おそらく、神社の脇に谷があり、湧水があったか?地域住民のみならず渡海船もその聖なる井で水を確保したのかもしれない。
海岸の水売りたちも利用したか?周辺は広大な貝塚が広がり、縄文時代以降江戸湾でも有数の豊かな地域であった。
貝は、塩水で煮て干すなど加工して、山の民との交易に使用したか?
市原市役所にほど近い場所住宅地の中に森があります。
下の鳥居からたっぷりの石段を登ると、森の中を歩いているような感覚になります。
ゆったりとお詣りできます。
富士塚もあります。
登れれば、眺めが良いと思いますが、草ぼうぼうで登れませんでした。
駐車場は、無いと思います。
歴史有る神社で、地域住民の大切な場所です。
こちらの神社は、ほぼ無法地帯です。
神社と言うよりは子供の遊び場❗子供が遊ぶには十分広く階段もあるので足腰を鍛えるのに歩くスペースとしても利用できますね。
そのついでに神社を利用って言う方法が良いのでしょいか⁉あくまでも個人的なイメージです。
日本三代実録 貞観十年九月十七日丁未 前廣神。
こちらの神社は、ほぼ無法地帯です。
神社と言うよりは子供の遊び場❗子供が遊ぶには十分広く階段もあるので足腰を鍛えるのに歩くスペースとしても利用できますね。
そのついでに神社を利用って言う方法が良いのでしょいか⁉あくまでも個人的なイメージです。
名前 |
前広神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.7 |
前廣神社は、弘仁年間(西暦八一〇~八二二)に此地に勧請されたと伝えられ清和天皇の御代、貞観十年(八六八)九月十七日従五位下を授けられた事が「三代実録」巻十五や「類聚国史」巻十六に記載されている。
この由来に基づき従五位下を授かった旧暦の九月十七日には特に大神の日々の御加護を感謝し初穂を捧げて祭典が営まれる。
ご祭神は大山祇命で神威あらたかなる山海神として全国各地に祭られている。
本社は、江戸時代に一時社号を三島大明神と称されていたが明治元年(一八六六)の神仏分離令により元の社号に復した。
明治二十年には近隣に鎮座していた、日宮・大宮・子安・日枝・香取・天・湯殿山・白幡の各神社が合祀された。
【現地案内板より抜粋】大多喜街道から少し住宅街に入った先に、急にこんもりとした木立に囲まれた中に鎮座。
鳥居から長い参道階段を進むと、階段上にご神木と思われる巨木があります。
社殿は比較的新しく、境内も綺麗に保たれています。