山頭火の足跡を訪ねた旅の終わりはこの像でした。
私の好きな山頭火。
新山口駅前に立派な像として存在感をアピールしています。
おすすめは日中より夜に撮影したほうがきれいで迫力ある写真が撮れます。
こんなところで種田山頭火さん。
「旅と酒を愛した昭和の芭蕉翁」とも称された「山頭火」の旅姿の像が近代的な新山口駅の駅舎の前に佇んでいます。
「小郡」と呼ばれていた頃から此処は交通の要衝の地でした。
山口線には、SL「やまぐち」号の「C571号」が復活し新山口と津和野間を運行しています。
見上げるほどに山頭火。
【種田山頭火の代表作】この旅、果もない旅のつくつくぼうしこころすなほに御飯がふいた鈴をふりふりお四国の土になるべくまた一枚脱ぎ捨てる旅から旅まつすぐな道でさみしいふるさとはあの山なみの雪のかがやくすべつてころんで山がひつそりまた見ることもない山が遠ざかる松はみな枝垂れて南無観是音分け入つても分け入つても青い山山へ空へ摩訶般若波羅密多心経。
酒と旅をこよなく愛した詩人。
湯田温泉にある例の句碑もセットでご鑑賞ください。
昭和の芭蕉といわれた。
1882年(明治15年)12月3日 山口県佐波郡西佐波令村(現・防府市八王子)にて大地主・種田家の長男として生まれる。
自由律俳句の代表として、同じ「層雲」の荻原井泉水門下の同人、尾崎放哉と並び称される。
酒癖によって身を持ち崩し、師である井泉水や兼崎地橙孫ら支持者の援助によって生計を立てていた。
九州地方、中国地方、四国地方を行乞し、晩年は、山口県小郡の小さな草庵に入り「其中庵」と命名。
その後、湯田温泉にうつり、近畿、木曽路なども回り、松山で終の棲家となる「一草庵」をむすんだ。
生涯に8万4千句という膨大な数の作品を残し、逝去。
享年57歳。
名前 |
種田山頭火像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
山頭火の足跡を訪ねた旅の終わりはこの像でした。
「まったく雲がない笠をぬぎ」また再訪したいです。