駐車場から空港がみえなくなってました。
琴の尾には2基烽火台があって、こっちは後期のものです。
1808年のフェートン号事件によって、烽火台が各地に増設されます。
佐嘉藩諫早領では長崎警備を言い渡され、長崎に近い矢上宿や現川村に多数の家臣を移住させます。
長崎に関わる藩はてんやわんやだったようです。
烽火台には、家臣を常駐させないといけませんが、その建物遺構や、薪等のストックする遺構等はよくわからないのでしょうか。
諫早市が調査しているようですので報告書を見たいものです。
此処では長崎の異変を佐世保の針尾に知らせるためだそうです。
長崎側からはよく見えますが、後ろが琴尾嶽なので、針尾は見えません。
烽火台としての使用は1度(諫早市調査結果)しかされてないということで、建造後の確認等を考えると、実使用はしたのでしょうか。
疑問なところです。
こちらの烽火台は綺麗に復元して周囲を整備してあります。
駐車場は上にあって、階段で100mほど降りたところにあります。
名前 |
琴ノ尾烽火台跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
いい景色の想い出の場所だったのですが、駐車場から空港がみえなくなってました。