グルっと360度から大亀に乗るおばさんを写メしてき...
長崎三福寺(唐3か寺)の1つで、宗派は黄檗(おうばく)宗になります。
黄檗宗とは、江戸時代に幕府の招きで来日した隠元禅師が、日本にもたらした宗派です。
その際に、いんげん豆や普茶料理も一緒にもたらしました。
因みに総本山は、京都宇治の黄檗山萬福寺です。
福済寺は、原爆投下により焼失してしまいましたが、戦後の復興で再建されました。
少し高台の場所に鎮座する、亀?玄武かな?を模した霊廟と万国霊廟長崎観音、なかなかのインパクトがあります。
また他の2か寺では見掛けた黄檗宗特有?の開梆(かいぱん)ですが、こちらでは無い代わりに雲版が使われていた様です?その雲版、原爆により一部が破損した物が見ることできます。
霊廟の地下には、何故かフーコーの振り子があり、戦死者や戦争被災者たちなどの遺品があります。
また戦艦陸奥の砲台の一部、野ざらしで遺されていました。
御朱印について、庫裏にて記帳を対応して頂けます。
黄檗宗のお寺です。
原爆で壊れてしまった元禄時代のとても大きな雲版があります。
禅宗では大事な仏具です。
戦争の愚かさを改めて思い知りました。
亀?の上に乗った神様がすごくインパクトがあります。
長崎四福寺の1ヶ所です。
中国の僧侶が建てたそうです。
御朱印も頂けます。
300円でした。
本堂の地下一階は自由に見学が出来ます。
何だろ?と思い階段を降りて、電気を点けるとガラスのショーケース内には戦争遺産が展示されています。
まさか、お寺で見学出来るとは思いませんでした。
神社仏閣が好きな方、戦争の遺品など興味がある方にも良いかと思います。
この造形に心を打たれました。
上空でさく裂した原爆を今も睨む亀。
観音様は激しいのどの渇きを訴えながら亡くなった方々に今も水を恵んでいます。
数十年前は国際交流の場であったお寺が原爆で吹き飛ばされた。
街中になんだこれはと思い驚きました。
長崎観音で有名です。
ご朱印は住職がおられ運よく直書きして下さいました。
グルっと360度から大亀に乗るおばさんを写メしてきました意外と迫力なかった ^^;
迫力がありました。
大きな観音様がこれまた大きな亀に乗って町を見おろし、暖かい目で見守っていらっしゃる。
甘水を稚児に与える像は心癒される。
残念ながら稚児の1人はビニールシートが被ってた。
素晴らしい場所です、珍しい景観です✨
2019/02訪問B級スポット感が漂うが至って真面目な寺院です。
銀色に輝く大きな像の下には古ぼけた感があるものの、かつての大戦時の遺品などが静かに展示されている。
一際目を引いたのはフーコーの振り子とやらで地球の自転を記す振り子だそうです。
初めて見ました。
御朱印あり。
分紫山 福済寺は、長崎駅の北東400mほど坂を登ったところにある黄檗宗の寺院です。
1628年(寛永5年)に福建省泉州府出身の僧覚海が弟子の了然と覚意を伴い来日。
岩原郷(現在、筑後町)に庵室を結び、海上守護神である天后聖母(媽祖)を奉じ建立されました。
長崎の唐寺のなかでも大きな寺院であったといわれ、戦前には本堂(大雄宝殿)、青蓮堂、回廊などの建造物は国宝に指定されていましたが、大東亜戦争で原爆により焼失してしまい、現在では原爆被災者と戦没者の冥福を祈って建てられた「万国霊廟長崎観音」が静かに長崎の街を見渡しています。
興福寺、聖福寺、崇福寺の「三福寺」と併せて「長崎四福寺」と呼ばれる由緒ある寺院です。
万国霊廟長崎観音は、1979年に建立されました。
亀の形をした霊廟を台座として建っており、高さは18m(地上から34m)、重さは35tあります。
内部には地球の自転を示す「フーコーの振り子」(長さ25.1mで日本最大級)が取り付けられています。
原爆被災者と戦没者の冥福を祈って建てられた「万国霊廟長崎観音」伺った時には誰も居なかったので、その大きさに圧倒されました。
秋晴れの空の青さも相まって一人で立ちすくんでいました。
あまり期待せずに行きましたが、いい意味で裏切られました。
長崎駅から歩ける距離ですので、是非見に行って欲しいです。
坂の上にあるので、坂の下にある住宅の間から見守ってくれている姿が見れました。
こちらも見てもらいたいです。
興福寺、聖福寺、崇福寺、福済寺とで長崎四福寺と呼ばれています。
黄檗宗の由緒あるお寺だそうです。
あまり有名な場所じゃないので期待せず行って、観音様と下の亀のゴージャス感がよかったです。
トイレあり、駐車場あり、
亀の像がでかい。
地下の資料館のパリーのパルテノン寺院で行われたフーコーの振り子。
堂内は広くて、他宗の寺院の雰囲気とは違います。
教会?に近い。
平成30年1月8日参拝御朱印あり(黄檗宗)長崎三福寺のひとつ巨大な万国霊廟長崎観音や日本一のフーコーの振り子などがあるお寺。
もとは、中国風の黄檗様式のお寺でしたが、原爆による被災のため現在は近代建築物になっています。
日本で一位、世界で三位の振子の長さを持つフーコーの振子がある。
振子の長さは25.1メートル、重りの重さは32㎏。
因みに世界一は90メートル。
長崎駅からは急な坂道を登って行くので、息が結構きれました💦登りきった先に、亀とその上に乗った観音様がスグに現れますが……大きい仏像などが怖い私はまともに見れなかったです…(思った以上に大きすぎて…)御朱印は、ご住職がいてくださってら、書いていただけるみたいですが、不在の場合は、予め書かれてる紙を渡されるので、筆で書かれてはいますが、日付がないものになります。
勝海舟と坂本龍馬が一緒にここを宿にしたことがどこにも記されていませんでした。
残念です。
1864年、英、仏、蘭、米の四カ国艦隊と長州藩との戦いを調停を命じられた勝海舟が陸路から長崎に入っている。
そのお供であった坂本龍馬は、勝海舟らと共にこの寺で約1ヶ月を過ごしている。
極秘の行動だったらしくその一つ期間の行動の記録が残っていない。
この時が龍馬の初めての長崎でした。
長崎の由緒ある唐寺で「長崎四福寺」の一つ。
お寺の門をくぐると、そこには大きな亀の上に立つ観音様。
「萬国霊廟長崎観音」と呼ばれ、原爆被災者と戦没者の冥福を祈り、慰霊のため昭和54年に建立。
以来長崎の街を静かに見守っている。
名前 |
福済寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
095-823-2663 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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福済寺は1628年に中国の僧、覚悔禅師によって創建され、20年後同じく中国の僧が聖観音像を祭祀して寺院の興隆を計り、その後、増経されて七堂伽藍を有するだいじいんとなりました。
↑はもらったパンフレットより。
歩いていたら大きな観音像があり萬国霊廟長崎観音というらしい。
坂を上って立ち寄ってみたがマイナースポットなようで見学者は1人もおらず。
かつては昭和2年に国宝建造物に指定された福済寺だが、昭和20年に戦火に包まれすべて焼失。