名前 |
日田街道の関屋入口と大宰府天満宮、一の鳥居 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
平成29年6月24日訪問日田街道の、第二の関所がここ苅萱の関であった(第一は、水城の関)。
旧3号線が出来る前は、大宰府とを結ぶ唯一の街道であり大宰府天満宮の入口にあたり『さいふ詣り』の分岐点であった。
江戸時代から馬鉄(馬車鉄道)や急行電車が二日市大宰府間を運行するまで、『さいふ詣り』の人々は、ここで潮井を振りかけ身を浄め、文久二(1862)年、黒田十代藩主斎愽寄進の『一の鳥居』をくぐって大日道に入り、左に政庁跡などの古跡や四王寺山を、遠望し通行した。
七世紀の頃、大宰府警護の為に設けられた苅萱の関も時代の流れの中でいつしかさびれ、昔を語る標識や鳥居に足を止めて見る人も少ない。
太宰府市文化遺産【登録番号】F0051【名称】天満宮一の鳥居(関屋の鳥居)【所在場所】坂本1丁目【文化遺産情報】二本の太い円柱が堀立てられており、地上部より笠木頂部まで高さ6mある。
柱の陰刻から文久2(1862)年に筑前國主左近衛権中將従四位下源朝臣斉溥建によって建立されたことが分かる。
その後、事故により損傷し中貫の石材が差し替えられた。