御府内八十八ヵ所巡礼第38番札所。
東京都豊島区高田にある、真言宗(しんごんしゅう)豊山派(ぶざんは)の寺院「金乗院(こんじょういん)」別称:目白不動。
本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。
肥後細川庭園を散策した後に立ち寄りました🚶♀️金乗院の裏手の辺りに「宿坂(しゅくさか)の関」と呼ばれる関所(せきしょ)があったとのこと。
本堂の鬼瓦の頭のところに、肥後熊本藩細川家の家紋「九曜紋(くようもん)」がありましたので、細川家と縁のある寺院なんじょうね、きっと。
最寄り駅 東京メトロ副都心線 雑司が谷駅 徒歩10分拝観料は無料 トイレ無し山号 神霊山宗派 真言宗豊山派本尊 聖観世音菩薩像正式名 神霊山金乗院慈眼寺別称 目白不動,目白不動尊開基である僧・永順が本尊である聖観音菩薩を勧進して観音堂を作ったのが始まりであるとされている。
当初は中野にある宝仙寺の末寺で蓮花山金乗院と称したが、後に護国寺の末寺になり神霊山金乗院となった。
また目白不動尊は、元々は当寺院のものではなく、1キロほど離れた関口駒井町にあった新長谷寺という寺院にあったものであった。
新長谷寺はその後第二次世界大戦による戦災で壊滅な被害を受け、1945年(昭和20年)に廃寺となってしまった。
[注釈 3]本尊の目白不動は金乗院に移され、現在に至るまで金乗院が目白不動尊として信仰を得るようになっている。
との事です。
新しい物だと思いますが昔ながらの山門が有り正面に本堂右手に不動堂が有ります。
階段を登っての参拝です。
境内の右手にお墓へ行く通路には古そうな石板や石橋があり雰囲気が有ります。
後、初めて見ましたが鍔塚(つばづか)があり鍔だけの塚?って何でしょうか分かりませんでした。
年末年始の準備で、業者車両が境内を埋め尽くしていた。
資金的な潤沢さを示すかの様な人数であった。
不動堂下の車庫の高級車の数からも、それを窺い知る事ができる。
寺院より、境内を挟む急坂(のぞき坂・宿坂)が良い。
都内の五色不動の一つ、目白不動です。
トイレは有ります。
手桶がずらーっと置いてある場所の右奥で、檀家さんに限らずどなたでもご利用可能かと思います。
ご近所の方でも長い間、存在に気付かなかったそうなのですが、散歩の延長で訪ねてみたら眺めや雰囲気も良かった、とのことでした。
北海道から訪ねて来られた方も!
五色不動全部廻るのはしんどいがせめて2箇所くらいはと思い目黒不動に続き参拝。
目白不動は本堂ではなく右手のお堂に祀られている。
その裏手の墓地には丸橋忠弥(長宗我部盛親の子で由比正雪の仲間)の墓がある。
この墓地はのぞき坂と宿坂という東京屈指の坂に挟まれた斜面に立地しており墓参りするのも結構な労力。
その甲斐あって上からの見晴らしは良かった。
江戸五色不動の一つで豊島区高田二丁目にある平日に訪問参拝者はいなかったのでゆっくりとお参りができました。
目白不動はお堂の中に安置されています。
目白不動というが目が白いわけではありません。
場所は目白通りの宿坂を降りきったところの右手にあります。
結構急な坂のところに入り口があります。
厳粛な雰囲気が感じられるお寺で、参拝者もほとんどいませんでした。
東京都って、こういう歴史あるお寺が多いですね。
目白不動尊がいらっしゃいますね。
神々しい…。
東京都豊島区高田にある真言宗豊山派の寺院『金乗院』さん。
江戸三大不動・江戸五色不動のひとつ、目白不動尊を祀っている目白不動明王が祀られている。
目白不動明王が祀られているが秘仏となっている。
この不動明王は明王自ら左腕を断ち切りそこから火焔が噴き出しているという独特の姿をしており、特別に強い力があるという。
●山号: 神霊山●名称: 神霊山金乗院慈眼寺●住所: 東京都豊島区高田2-12-39●宗派: 真言宗豊山派●本尊:・聖観世音菩薩像(本堂)・目白不動明王像(不動堂)●創建年: 1594年以前●開基: 永順●別称: 目白不動、目白不動尊●札所等(金乗院):・江戸三十三箇所 14番・御府内八十八箇所 38番●札所等(新長谷寺)・江戸五色不動・関東三十六不動 14番・御府内八十八箇所 54番●由来(金乗院)・1573年〜1592年、永順が本尊である聖観音菩薩を勧進して観音堂を作り開山。
・当初は中野にある宝仙寺の末寺で蓮花山金乗院と称したが、後に護国寺の末寺になり神霊山金乗院となる。
・第二次世界大戦による戦災で本堂などが焼失。
・1945年、廃寺になった新長谷寺から『目白不動明王像』が移され、金乗院が『目白不動』に。
・1971年、本堂再建。
●由来(新長谷寺)・弘法大師が出羽・湯殿山に行き修行を行っていた際に不動明王像を造られた仏像。
・武蔵国関口に住む者の手に渡る。
・1618年、奈良・長谷寺の僧・秀算によって中興された。
・秀算は二代将軍・徳川秀忠の命令によって長谷寺の本尊と同じ十一面観音像を造り、本堂などを建立し新長谷寺と命名した。
・寛永年間、徳川家光により、新長谷寺の本尊である不動明王像に五色不動のひとつとして『目白不動』の名を贈られる。
・1945年、第二次世界大戦による戦災で壊滅な被害を受け、廃寺に。
・1945年、本尊の目白不動は金乗院に移さる。
●御朱印:有り・寺務所にて初穂料300円で直書きの御朱印を拝領。
・受け答え、対応共に丁寧で素晴らしく、気持ちよくお参り出来ました。
五色不動のひとつ目白不動尊に行ってきました。
地下鉄雑司が谷駅で下車いたしますと、運の良いことに目白不動尊まではずっと下り坂になります。
これがもし逆から行っていたらずっとこの長い坂を登らなくてはなりませんでした。
行きは雑司が谷から下りで、帰りは都電荒川線の学習院前駅を抜けて西早稲田の方に向かうと諏訪神社もあるので参拝しながらお散歩でよい感じになります。
目白不動尊は本堂の脇にあります、くりからふどう?と読むのでしょうか、ちょっと見逃しそうなおおきさなのですがとても素晴らしいので必ず観ていただきたいです。
金乗院は真言宗豊山派の寺院で、開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが草創とされています。
隣接の墓地には、槍術の達人丸橋忠弥、青柳文庫を創設した青柳文蔵などの墓があり、境内には寛文6年造立の倶利伽羅不動庚申塔をはじめ、寛政12年造立の鍔塚など多くの石造物があります。
初めての訪問でした。
平日の午前中という事もありとても静かでした。
御朱印は(左手奥のドアから)と貼紙があったのでそちらで対応して頂きました。
先客がいらしたので少し待ちましたが丁寧に応じて下さったので嬉しかったです。
良い真言宗寺院ですが、何故か丸橋忠弥の墓があり、それを結構推してます。
目白不動尊。
小さなお堂だが静かでいい。
庚申様も珍しいので必見。
金乗院は開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請し観音堂を築いたのが草創とされ、天正年間(1573-92)頃と考えられます。
当所は蓮花山金乗院と称しましたが、のちに神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となります。
有り難く、御府内八十八ヶ所第38番”聖観世音菩薩”と、御府内八十八ヶ所第54番と、関東三十六不動第14番札所”目白不動明王”の御朱印を頂きました。
御府内八十八ヶ所の三十八番の御朱印を頂きました。
三十八番と五十四番の御朱印を一緒に頂くことができます。
とても静かで綺麗なお寺です。
私は順番にご参拝してますのでまたきま〜す。
目白不動尊で馴染みの神霊山金乗院慈眼寺さんに伺いました。
目白通りから宿坂通りを下りますと右手に立派な山門が見えてきます。
山門左には「十一面観世音」の石柱、右には不動尊の石像山門上部には神霊山の山号が掲げられこの一角だけ時代が遡ります。
金乗院さんは平成に改修された様で他は今風です。
不動尊は山門を入り右手階段上です。
先ずは本堂にて参拝。
前を見ますと引き戸のガラスに丸い穴があいている?なんなんだこの穴?ガラスが反射して良く見えませんので思わずのぞいてしまいました。
好奇心には勝てません。
なんと!穴の先にはお賽銭箱があるでは有りませんか!ここからお賽銭を入れるのか!失礼ですが笑ってしまいました。
すいません!初めての経験でしたので帰りの長くきつい宿坂もガラスの穴のお陰で苦にならず楽しい?目白不動さんでした。
目白不動さん。
全体的な白い感じ。
御朱印を頂いたお坊さんにとても親切に対応頂きました。
見所は多くないかも。
でも由緒ある寺なので、一度は行ってみてもいいかもしれません。
遠くから来る方は、近くの細川庭園や椿山荘とワンセットで考えたほうがいいかもしれないですね。
この寺院は、僧・永順が創立したものであるといわれています。
創立した時期は明確に記録されてはいないが、永順が没したのが1594年(文禄3年)である為、1573年(天正元年)- 1592年(文禄元年)ではないかと推測されており、400年以上の歴史がある寺院であると考えられます。
(現在の本堂は、第二次世界大戦後の1971年(昭和46年)に再建されたものです。
)境内には、聖観世音菩薩や、目白不動明王や、お地蔵様などが祀られており、それぞれが躍動感があり美しかった。
特に、目白不動明王像の迫力は凄かった。
あとで調べてみたところ、この不動明王は明王自ら左腕を断ち切りそこから火焔が噴き出しているという独特の姿をしており特別に強い力があるといわれているそうです。
また、境内端には「鐔塚(つばづか)」がありました。
どのような存在であるか詳しくは分かりませんが、刀の鐔(つば)を模した石像でした。
多くの人が訪れ賑わうような寺院ではありませんが、だからこそ、積み上げられた歴史がひっそりとそこにあるように思いました。
2018年10月20日(土)午後3時過ぎに訪れました。
金乗院慈眼寺さんの境内にちょこんと御堂が奉られています。
u003du003du003d wiki抜粋(目白の名の由来) u003du003du003d新長谷寺(しんちょうこくじ)は、山号を東豊山(とうぶさん)といい真言宗豊山派の寺院であった。
当寺院にあった不動明王像は唐から帰ってきた弘法大師が出羽・湯殿山(一説には羽黒山)に行き修行を行っていた際に造られたといわれている像で、それが武蔵国関口(現在の文京区関口)に住む者の手に渡ったといわれているがその詳しい年代はわかっていない。
その後、この寺院は江戸時代に入り元和4年(1618年)に奈良・長谷寺の僧・秀算によって中興された。
秀算は二代将軍・徳川秀忠の命令によって長谷寺の本尊と同じ十一面観音像を造り、本堂などを建立し新長谷寺と命名した。
寛永年間に三代将軍・徳川家光により、新長谷寺の本尊である不動明王像に五色不動のひとつとして『目白不動』の名を贈り、以後この不動明王像は目白不動明王と呼ばれるようになったという。
また一帯の高台も目白台と呼ばれるようになった。
(これは現在の地名になっている目白や目白台の起源になっている)その後、この寺院は五代将軍・徳川綱吉や桂昌院の帰依を受けて発展した。
また江戸市民に時を告げる時の鐘を備えていた。
しかし、新長谷寺はその後第二次世界大戦による戦災で壊滅な被害を受け、1945年(昭和20年)に廃寺となってしまった。
本尊の目白不動は金乗院に移され、現在に至るまで金乗院が目白不動尊として信仰を得るようになっている。
境内いたるところに庚申塔がありますが、特に本堂右前の倶梨伽羅不動庚申は見事です。
もはや芸術作品と言っても良いくらい素晴らしい。
この龍は青面金剛の化身だそうです。
金乗院というよりは「目白不動」という通称で知られているお寺です江戸五色不動のひとつです不動尊像は唐から帰ってきた弘法大師が出羽・湯殿山に行き修行を行っていた際に造られたといわれている像で不動堂に収められています(残念ながら見ることはできません)真言宗のお寺で山号は神霊山、本尊は聖観音菩薩御府内八十八ヶ所霊場38番札所、江戸三十三観音霊場14番札所、関東三十六不動霊場14番、東京三十三観音霊場23番札所でもありますお地蔵さんなど見どころのある石仏もたくさんありました。
普通の寺です。
御朱印の筆文字は?なものです。
再訪2017/9/16拝受 御府内八十八ヶ所霊場第38番+第54番&江戸三十三観音霊場第14番&関東三十六不動霊場第14番の御朱印4種頂きました!2016/6/25拝受 江戸三十三観音巡礼第14番札所、御府内八十八ヵ所巡礼第38番札所。
その他に洛陽三十三観音巡礼とトリプル巡礼中と欲張りしてます。
上2種の他に御府内八十八ヵ所第54番新長谷寺(目白不動尊)の御朱印と関東三十六不動の御朱印の4種頂けます。
本堂左手の建物のインターホンを押すと対応して頂けます。
有り難く御朱印を頂きました!
38番札所です。
場所も分かりやすいです。
江戸三十三観音、五色不動尊、関東三十六不動尊のお寺です🎵お寺の方に、この辺りの事を教えてくれました🙇目白の地名の由来となったと言われています。
目白不動尊を兼ねるお寺です。
由緒の在る立派なお寺さんです。
高名方のお馬鹿あります。
墓からの景色いいです。
マナーは守りましょう。
聖域です。
2016/6/25拝受 江戸三十三観音巡礼第14番札所、御府内八十八ヵ所巡礼第38番札所。
その他に洛陽三十三観音巡礼とトリプル巡礼中と欲張りしてます。
上2種の他に御府内八十八ヵ所第54番新長谷寺(目白不動尊)の御朱印と関東三十六不動の御朱印の4種頂けます。
本堂左手の建物のインターホンを押すと対応して頂けます。
有り難く御朱印を頂きました!
名前 |
目白不動 金乗院慈眼寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3971-1654 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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江戸三大不動でもある目白不動尊のある金乗院は真言宗のお寺で山号は神霊山、本尊は聖観音菩薩開基は永順で創建年は正確には不明ですが、文禄3年(1594年)以前ではないかといわれています御府内八十八ヶ所霊場38番札所、江戸三十三観音霊場14番札所、関東三十六不動霊場14番、東京三十三観音霊場23番札所でもあります境内では六地蔵尊はじめ何体かのお地蔵さんと出会うことができました。