潮の満ち引きを利用した「入浜式塩田」があったそうで...
母校の横の公園にあった史跡。
大分曖昧だが何か大きな石が置いてあった記憶はある。
泊塩田之跡碑(前島1-3 前島中公園内)●三百有余年の沖縄製塩史日本復帰と共に終わる。
祖先の偉業を偲びこの碑を建立す。
昭和四十七年五月十五日泊製塩業者の子孫・前島青年代表・とまり会(個人名は省略)
復帰前まで塩田があったとは興味深いです。
国が変わり、暮らしが変わる。
琉球の世から、日中両属の世、日本の世、アメリカの世、日本の世、そして、塩田の廃止になる。
ドル💵から円に変わり、730で、左ハンドルが、右ハンドルへ!1号線が、次の日には歳をとり、いきなり58号線へ、道がも歳とるのか?と!オバァーが・・・今の常識が、明日の非常式になる。
進化して生き続ける。
子々孫々命と想いの継承が大切デス。
ウヤファーフジに感謝です。
かつてこの地は干潟で製塩が盛んだったそうです。
泊塩田之跡碑には、三百有余年の沖縄製塩史日本復帰とともに終る。
祖先の偉業を偲びこの碑を建立すと書かれています。
昭和47年に建立さらたとあります。
その隣には梵字炉(ふんじろ)があります。
中国からの冊封使の勧めによって各地の番所や学校などの側に設置されたということで、字を書いた紙を敬うための紙を燃やすための炉ということです。
この梵字炉がある公園の隣には那覇小学校がありますが、もしや昔から教育施設があった場所なのでしょうか。
小さな公園にある塩田の跡碑です。
名前 |
泊塩田之跡碑 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト |
http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/item3/21923 |
評価 |
3.8 |
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昔は海岸線が違っていて、潮の満ち引きを利用した「入浜式塩田」があったそうです。