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名前 |
川上音二郎の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前1丁目29−29−9 |
評価 |
5.0 |
『承天禅寺』と書かれた門を潜り、次に少し進んで左側にあるこの門を潜り、まっすぐ進むと墓地に到着です。
遠目に見てもすぐにわかるほど大きな墓石が墓地の奥にあります。
川上音二郎は博多に生まれ、世界を駆けめぐった明治の演劇人。
幕末の1864年に生まれ、14歳の時に博多港から船に乗って大阪に渡り、歩いて東京まで行き、福沢諭吉の書生などをやりながら、政府に反抗した自由民権運動に参加するようになります。
明治20年代になると芝居を始め、出し物の一つとして生まれたのが「オッペケペー節」。
自由民権運動にからませた歌詞が人気となり、大評判となりました。
歌詞の一部を紹介すると ♪権利、幸福嫌いな人に 自由湯(じゆうとう)をば飲ましたい オッペケペ…唄うときは陣羽織を着てハチマキを締め、日の丸の扇を持って袴(はかま)という格好です。
明治24年(1891)、売れっ子芸者だった貞奴と結婚、二人で「川上座」を立ち上げて、彼女は日本初の女優となりました。
明治32年(1899)にはなんとアメリカに渡り興行、翌年にはパリ万博に呼ばれて公演し大人気を博しました。
また「オッペケペー節」はレコードとなり、これが日本人最初のレコーディングだったとか。
帰国してからは、シェイクスピア演劇を上演し、興行師として成功しますが、明治44年(1911)11月11日に舞台で倒れて亡くなりました。
毎年お墓がある承天寺で「川上音二郎忌」があり、ゆかりのイベントが行われます1911年(明治44年)、急性腹膜炎により11月4日から昏睡状態となり、11月11日に貞奴の願いにより運ばれた帝国座の舞台上で死去[8][9]。
享年48。
「汽車が眺められるところに」という音二郎の遺言により、当時博多駅が近くにあった承天寺に葬られる。