名前 |
小早川神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
豊臣秀吉の九州平定(島津平定)の論功行賞により、毛利(小早川)秀包が久留米拝領となっている。
この時の主な拝領は、【中津】黒田官兵衛、【柳川】立花宗茂、【佐嘉(正式安堵)】鍋島直茂、【肥後北部(隈本)】加藤清正、【肥後南部】佐々成政。
なお立花塩城攻めから鹿児島に退却した島津も、秀吉が出水まで進軍してきたところで自ら出向いて恭順を示し、結果、薩摩・大隅と日向の一部を安堵となっている。
毛利秀包の久留米城は有馬の篠山城より東(位置は不明)で、まだ館のようなものであったとされる。
関ヶ原合戦後の西軍方武将征討で鍋島直茂、黒田官兵衛に攻め落とされている。