ちいさな観音堂です。
裏手に石廟が並んでいます。
これはこの一帯が須屋城(南北朝期須屋氏築城で、戦国期は竹迫城を領した合志氏の出城)の跡で、出土したものです。
北西側の空き地に城址の説明碑がありますが、城址の遺構は北側のバイパスの向こう側の畑の脇に、藪でよくみえませんが土塁の跡が確認できます。
南東に200mほどすすんだ近くのアパートの裏手の慰霊塔(島津氏と合志氏の合戦慰霊塔;通称千人墓)もう少しすすんだところの鉄砲塚などが関連史跡になります。
宅地とバイパス工事で城址を偲ぶものは少ないのですが、城址はこの地下に眠っています。
名前 |
須屋観音堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
長い歳月が経ってます。