アメリカのスチール博士が建立した学校舎。
旧スチイル記念学校は、明治20(1887)年に東山手9番地の旧英国領事館跡に建てられたスチイル記念学校の校舎。
ダッチ・レフォームド教会の外国伝道局長であったスチイル博士が、18歳で亡くなった息子のウィリアム・ヘンリーを記念するために寄贈した資金により開設された学校。
初代校長のアルバート・オルトマンス牧師が校舎建設を指導。
昭和47(1972)年に海星学園より寄贈、移築復元した。
旧スチイル記念学校は、グラバー園の南端にあり、明治20年(1887年)に東山手の旧英国領事館跡に建てられた長崎初のミッション系の学校です。
英語教育と特徴ある学風で、昭和7年(1932年)まで45年間の歴史を重ねました。
グラバー園移築前は海星学園の寄宿舎として使用されていましたが、現在はグラバーの取り組みや歴史を学べるパネル展示などに使用されています。
明治20年に、当時東山手9番地の旧英国領事館跡に建設されたスチイル学校の校舎🏫昭和47年に現在の場所に移築されたとのことです😊
明治20年に東山手の旧英国領事館跡に建てられたそうです。
本館、グラバーハウスは修理のため閉鎖されています。
けっこうだ。
最大の不満は、国際港としての地位に関する長崎の歴史の中でそのような重要な期間についての英語での情報の欠如です。
(原文)The main building, Glover House, is closed for repair. Fair enough. Biggest gripe is the absence of information in English for such an important period in Nagasaki history regarding its status as an international port.
旧グラバー住宅が保存修理工事をしていたので、グラバーと日本人女性との息子の倉場富三郎(1870〜1945)の人生がこの旧スチイル記念学校でパネル展示されていました。
倉場富三郎は水産学者で日本の水産振興に多大な貢献をしました。
日本と英国の混血の妻を持ちましたが、第二次世界大戦が始まると、グラバー邸を追い出されてしまいました。
スパイを疑われ、常に憲兵に監視され、友人も段々と離れ、ついに妻も急死してしまいます。
子供も無かったので孤独に苛まれて相当辛い日々だったようです。
長崎に原爆投下されたのが、8月9日でそれから程なく、1945年8月26日に自ら自分の人生の幕を下ろしました。
日本と西洋との架け橋になろうとしただろうに…。
私はトーマス・ブレイク・グラバーは知っていましたがその息子さんの人生は知りませんでした。
戦争と原爆の悲劇だと展示を見て、暗澹たる思いになりましたが、知る事が出来て良かったです。
この建物がある庭園名前の由来であるトーマス・ブレイク・グローバーの漫画展示中。
周辺人物にも知ることができている。
(原文)이 건물이 위치한 정원 이름의 유래인 토마스 블레이크 글로버에 대한 만화 전시 중.. 주변 인물에 대해서도 알 수 있음.
アメリカのスチール博士が建立した学校舎。
東山手にあったものを戦後移築復元したものである。
1987年(明治20年)にスチイル記念学校の校舎として建てられました。
その後幾たびか所有者が変わって最終的には長崎市内の中高一貫校である寄宿舎として昭和40年代頃まで利用されていました。
建物内に調度品などはありませんが、古写真や産業資料が展示されています。
名前 |
旧スチイル記念学校 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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観光客用のトイレがあります!建物の見学はあっという間です。