No more war 8月9日?
噴水正面の碑の文言がとても重いです。
石に刻まれた少女の言葉が印象的です。
平和公園内にあります。
原爆で亡くなった人を追悼する趣旨はよい。
しかし、この噴水そのものからは何も伝わってこない。
公園には噴水がつきもののレベルにとどまっている。
長崎市の単なる観光地整備ではないかと疑ってしまう。
原爆の被害のひとつは熱線によるやけどだ。
このため、原爆で傷ついた多くの人たちが水を求めた。
この噴水の石板には、「のどがかわいてたまりませんでした。
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
どうしても水が欲しくて、とうとうあぶらの浮いたまま水を飲みました」と少女の手記が刻まれている。
ここでは、この石板を見るだけで十分だ。
本来なら星ひとつだが、この石板が星ふたつ。
この手記に書かれたことを表現した噴水にしてほしかった。
8月9日にここで開かれる平和祈念式典では、毎年、祭壇に水をたむける。
長崎市を囲む山の湧水のほか、この噴水の水もくまれる。
しかし、ここの水をくむのは安易すぎる。
また、石碑の前に、1円玉や5円玉が投げ入れられている。
投げた人は、どういう気持ちなんだろう?理解できない。
早朝は、写真のように噴水が出ていない。
これも、観光客用だということをにおわせている。
追悼のためなら、時間に関係ないのでは?
戦争の悲惨さを後世に世界に伝える事が重要であると、今更になって気付かされます。
広島の公園とはまた違った意味で感慨深いものがあります。
あの日のある少女の手記から「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたままのみました」と書かれています。
私達が何気に飲んでいる水。
そのお水が好きな時に好きなだけ飲める有り難さ。
この9歳の女の子の手記は非常に考えさせられる。
公園のアプローチから最初に拝見できるので感動しました。
原爆による猛火で水を求めながら亡くなられた方々がもう苦しむことがないように作られたものです。
ゴミなどが噴水内になくてよかったです。
夏場など噴水に癒されます。
長崎県長崎市の平和公園の中にある噴水です。
平和祈念像と直線になるところにあります。
「あの日のある少女の手記から」という引用を示す文字は、少女の手記の本文と字体を変えた方が良かった気がする。
平和記念公園の南端近くにある泉。
当時の少女の手記が転記されていますが、これがなかなか読むのが辛い。
ただ、手記を読み終えた後、石板の奥に噴水の間から平和記念像が見えたのが救いになりました。
心に深く刻むべき場所。
少女の言葉と噴水そしてその間に見える平和祈念像。
改めて平和の尊さを胸に刻みました。
水の意味を後で知りました。
多くの被爆者達は身体の中まで焼けただれ、「水を、水を」と求め亡くなられました。
その被爆者の少女の手記が刻まれています。
泉は平和の象徴の鳩と鶴の羽根、つるの港と呼ばれる長崎港のつるをイメージしているそうです。
手記の碑からはまっすぐに平和祈念像が見えます。
私には平和祈念像よりこの平和の泉の少女の手記の方が心に残り、忘れられません。
噴水の間から覗く平和祈念像の姿はどこか物悲しいような感じがしました。
水を求め亡くなっていった方々を悼むために作られた泉です。
当時9歳の少女の手記が石碑に刻まれています。
この「水」にどのような意味があるのか、ぜひこの場で体感ください。
名前 |
平和の泉 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3030000/3030100/p005151.html |
評価 |
4.4 |
No more war 8月9日🕊️