もはや遺構らしきものは皆無に近いです。
地元の参拝客で賑わう。
年末年始以外は静寂。
曜日に関係なく毎年12月25日には酉の市が夕刻→午後9時まで開催されます。
あと12月31日深夜から1月2日まで地元民の初詣でも賑わいます。
上記日程でお焚き上げと御守、絵馬等の販売も行われます。
ここの天満宮は西暦879年に建立され16世紀に建てられた羽生城址に作られたのではなく羽生城が作られる以前から有った様です。
羽生城の案内板の図には天満宮の表示は有りませんが羽生城址が敷地内に有るので羽生城が現存した時は城の一角になってた様です。
現存する社殿は過去の火災消失後の西暦1931年(昭和6年)に建てられた物です。
(境内に建立記念の石碑が有ります)上杉謙信公も訪れたこの地を色々昔を偲びながら訪問するのも良さそうです。
地元の神様 学問の神様です🙏 毎年初詣に来ています。
🙌 コロナになってから 参拝の人手が減った気がしています。
神聖成る場所 趣き 歴史背景が有り良い。
静かで❗落ち着きの有る、天満宮。
羽生城のあった場所は区画整理され、もはや遺構らしきものは皆無に近いです。
水に囲まれた壮大な平城であった往時の面影を少し期待しましたが・・・。
羽生城の後に建てられた古城天満宮です(^^)写真は古城天満宮境内で毎年行われてる酉の市の様子です。
羽生市東5丁目〔古城天満宮〕に芭蕉句碑が建っている。
蓬莱にきかはや伊勢の初便 芭蕉翁 寛政12年(1800)建立の碑。
上杉氏家臣の木戸氏が治めた羽生城跡に建つ天満宮。
名前 |
古城天満宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-561-3543 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
周辺のオススメ
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古城天満宮(こじょうてんまんぐう)御祭神 菅原道真公縁起武蔵国の北部、羽生の東端に菅公廟が建っていて、古城天満宮と称しています。
東町町内の羽生城址にある羽生古城天満宮は、天慶三年(940)に創建されたとされる、千年以上の歴史のある天神社です。
また、元慶三年(879)、押領使俵藤太秀郷が創建したともいわれています。
伝えによると、秀郷は平将門を討伐した功績によって、武蔵・下野の二国の押領使に任じられました。
役所を下野国に開いて自らここに居住し、また役所を羽生にも開き、子の武蔵介千春をそこに住まわせ、武蔵国一国に関することを管轄させました。
役所のあるところには、それぞれ、菅公廟を建てました。
そのうちの下野に建てたものは現在の佐野廟です。
弘治二年(1556)羽生蓑沢城主木戸伊豆守忠朝も菅公を敬って、古城天満宮と改称して、城中の守護神としました。
忠朝は、新田義重に繋がる子孫で、伊豆守に任じられて武田信玄の武将の一人として仕え、この地に城を築いて居住し、羽生領五万八千石を領有しました。
天正三年(1575)正月二十五日、北条氏に属していた武蔵国忍城主成田下総守と戦い、防戦に努めましたが衆寡敵せず、将兵二百名が討ち死にし、城は落ちました。
その時、大風が吹いていたこともあり、戦火によって社殿や宝物が焼失してしまいました。
後に村人たちが相談して現在の社殿を再建しました。
(境内案内板「古城天満宮縁起」参照)創建年に関しては、藤原秀郷の生まれが寛平三年(891)、亡くなられたのが天徳二年(958)といわれていることと、菅原道真は承和十二年(845)に生まれ、延喜三年(903)に亡くなられたこと、初めて菅原道真公を祀ったのが京都の北野天満宮で、天暦元年(947)創建ですので、天満宮としての創建は天暦年間(947~957)以降と考えることができます。
また、それ以前から産土神を祀った社があった可能性も考えられます。
芭蕉句碑「蓬莱に 聞かばや伊勢の 初便」境内左手にある、寛政年間(1789~1801)建立の句碑です。
蓬莱は、正月の飾り物の蓬莱飾りのことを指しています。
三方に松竹梅を立てて、白米・歯朶・昆布・ゆずり葉を敷き、橙・蜜柑・柚・橘・かちぐり・野老・ほんだわら・ころがき・伊勢海老・梅干しなどをその上に飾る、新春の景物です。
その蓬莱にそっと耳を寄せてみると、伊勢神宮の清浄な空気が伝わってくるようで、これが伊勢からの初便りだと表現しています。
羽生市指定文化財として、以下があります。
羽生市指定文化財(史跡)「羽生城跡」羽生市指定文化財(史跡)「羽生菅公廟梅樹記の碑」羽生市指定文化財(墨跡)「天満宮の額」