学問や貿易により日本国を繁栄させる為に日米通商修好...
明治維新少し前の藩主の像である。
通商交渉に奔走したとか。
横に通商交渉の相手方のアメリカ人の像がある。
江戸終わり頃の大名でもあり下総佐倉藩の藩主 堀田正睦公の像が公園内にあります今もここから日本の未来佐倉の未来を大勢の人々たちの幸せを願い見守っています毎日誰かが欠かさずここで祈りを捧げています堀田正睦公の願いや思いを私たちが後世に継いでいくことが大切なことなんだと思いました。
本丸跡地に行く途中で見つけた堀田正睦公像。
以下、書いてある事文字起こし。
Googleレンズ便利が過ぎる。
堀田正睦公日本を鎖国から開国に導いたことで知られる堀田正睦公は、文化7年(1810)8月1日に生まれ、 文政8年(1825)に佐倉藩主となりました。
天保4年(1833) に藩政改革を宣言し、文武の奨励によって藩士の意識高揚を図り、 人々の生活の向上にも力を注きました、特に、藩校の拡充や諸藩に先駆けて蘭学を導入するなど、い 多くの人材を育成しました。
公は、天保12年(1841)に総和の老中に就き、安政2年(1855) には老中首座となり、 近年には外国事務取扱に任しられます! 「攘夷」が叫ばれるなか、欧米列強に対抗するには、 易によって国を豊かにすることが必要であるとして開国を唱え、アメリカ総領事タウンセント・ハリス と「日米修好通商条約」を結ぶ交渉に全力を傾けました。
元治元年(1864)3月21日、公は、佐倉城中の三の丸御殿で卒し、昆大寺に葬られました。
「後に、法号から「文明公」と称えられ、広く敬愛されています。
この角像は、佐倉ライオンスクラブが正睦公の遺徳を偲び、クラブ創立40周年を記念し、 ゆかりの地に建立するものです。
平成18年10月21日。
縁のある方かな?
佐倉城跡公園内にある、佐倉藩5代目藩主様の像。
名前は聞いたことありましたが、こちらの方とは知りませんでした。
国立歴史民族博物館に行って、佐倉城址公園内の一部を散策中に見かけました。
天保時代に佐倉の藩政改革に力を尽くしたそうです。
幕府の老中だったのですが天保の改革の失敗に伴い辞任。
蘭学に明るかった開明派堀田正睦はちょうどペリーの黒船がやって来た少し後の1855年阿部正弘から譲られる形でもう一度老中になり、1858年ハリスが日米修好通商条約の調印を求め来日するとその提携に奔走します。
上洛して孝明天皇から勅許を得ようとしましたがうまくいきません。
そんな中、井伊直弼が大老に就任。
将軍継嗣問題で井伊直弼は「南紀派」、堀田正睦は「一橋派」だったのもあり、失脚の憂き目にあってしまいます。
元治元年(1864年)に亡くなりました。
堀田正睦は肖像画を見ると上品で温和なお顔です。
こちらの像はタウンゼント・ハリスと仲良く並んでいます。
江戸時代末期の大名で佐倉藩5代藩主。
ポケモンGOジム。
佐倉藩の第五代藩主像。
日米修好通商条約締結に尽力した人物の像です。
隣に、堀田正睦と共に通商条約締結を交渉したタウンゼント・ハリスの像があります。
佐倉藩の第五代藩主像。
日米修好通商条約締結に尽力した人物の像です。
隣に、堀田正睦と共に通商条約締結を交渉したタウンゼント・ハリスの像があります。
名前 |
堀田正睦公像(佐倉城址公園) |
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ジャンル |
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電話番号 |
043-484-1111 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/koenryokuchika/3/13/2544.html |
評価 |
3.7 |
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蘭学を奨励し医学の順天堂を創設、学問や貿易により日本国を繁栄させる為に日米通商修好条約を締結した幕府老中首座の藩主です。
出来もしないくせに外国を打ち倒せと血気盛んな薩摩長州などの尊王攘夷派に憎まれ、安政の大獄の報復で蟄居させられ、佐倉城松の御殿(自由広場駐車場)で失意の中逝去されました。
尊王攘夷の薩摩長州は結局、攘夷を諦めて通商修好をおしすすめます。
明治政府のお偉いさん達は正睦公に謝れと言いたいです。
世界の中へ日本国を導いた立派な藩主の像です。