丘とか当時想像させる地形と城ふうデッキあるからいい...
見渡しはイイ。
山城ではないが、丘とか当時想像させる地形と城ふうデッキあるからいいかも 出城なのか?近隣(西部)は平野なのでしばらくは城の噂はない東部は丘があるも急峻という事もなくしばらく行くと城跡の噂がある。
始めて訪問しましたが近くに駐車場がありません。
せっかくの史跡なのでなんとかなりませんか?
見晴らしが良い。
ターザン?があります⭐
横に遊具があり、どんぐりがいっぱい!
『園田浦城 園田浦城は山上に築いた中世の山城です。
このあたりは麻生氏が勢力を張り、麻生近江守が守った城と言い伝えられています。
山城の構造は西につき出す3本の尾根からなり、その西側下に金山川が流れています。
中央の本郭、北側が北郭、南側が南郭で、現在南郭だけが八幡厚生病院裏山として残っています。
現在の説明板の位置は本郭の位置になります。
発掘調査は、昭和41年から42年にかけて北九州青年郷土史研究会が本郭の調査を、また平成8年には主に北郭の調査を北九州市教育委員会が実施しました。
本郭は南西方向に続く尾根上の曲輪と尾根の下に段状に広がる曲輪群で構成されています、北九州青年郷土史研究会の発掘調査では多数の柱穴が発見され、建物の所在が確認されています。
北郭では曲輪、堀切、犬走り、柵等が本郭と並行した南西方向に延びる尾根周辺で所在していました。
その尾根上の曲輪には竪穴建物という竪穴住居か片屋根状をした小屋掛けと思われる建物が明らかになっています。
発掘調査で出土した異物は土師器をはじめ、陶磁器や銭貨が出土しています。
土師器は小皿や杯が多く、陶磁器では擂鉢、中国製の青磁碗が見られます。
これらの出土遺物は南北朝から室町時代にかけてのものであり、九州で古くから存在した山城です。
現状は山城であったときの面影はありませんが、眼下を見下ろす永犬丸(エイノマル)の平野の広がりは当時と変わらず、城兵が城を守る状況が推定できます。
北 九 州 市 』
名前 |
園田浦城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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何もないです。
ウォキング最中によってみましょう。