堀の跡があるとかないとか......。
両毛線を挟んだ向こう側に、堀の跡があるとかないとか......。
昭和の終わり頃には残っていたそうですが、多分もう無いです。
それでも頑張って土塁や水堀を見出だした人もいます。
比較的わかりやすいものを挙げると、天満宮とは別に、陸橋の東側を北の方に歩くと、小高い築山があるようです(デカイ石碑・・・「少講義髙岩秀行報徳碑」のところ)。
その他詳細は「川連城」で画像検索すると出てくるでしょう。
文献が残らず、詳細はわからないお城です。
伝えられるところによれば、・築城主:川連伊賀守仲利・築城年代:応仁年間(1467〜69年)・規模:東西百八十間(約327m)、南北二百六十間(約473m)そんなところです。
川連城は皆川氏と佐野氏の領地が接するところに建っていて、両家にとって重要な地点だったと言うことです。
そのため永禄六年(1563年)には皆川氏に攻められて落ち、天正六年(1578年)には佐野氏の旗下・粟野城勢に攻められて落ち、天正十三年(1585年)には粟野落城とともに皆川氏の手に落ち、主の行ったり来たりが忙しい城でした。
天正十八年(1590年)、皆川落城とともに廃城となりました。
線路によって分断された皆川氏の大規模な城郭。
名前 |
川連城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
かなり大きな城だったそう。
今はほぼ何もない。