不動明王とは,平安時代以降信仰された仏教における神様の一人。
朗らかな微笑みを浮かべる大日如来の別の姿ともいわれ,仏の教えを信じようとしない悪人をその強面で喝破したり,または、煩悩や疫病を焼き尽くし,人々を救済するという。
さいたま市周辺は、「足立百不動巡礼」というのがあったくらいに不動明王信仰が盛んだった。
これは当時の不動明王信仰の篤さを現在に伝える史跡のひとつと言えそうである。
以下,当地史料の観察情報を記す。
【不動明王威徳之碑】お堂の左手にあり。
正面に漢籍碑文。
明治十七年九月健之銘。
題字篆額は「不動明王威徳之碑」。
篆額揮毫は成田山新勝寺の住職であった照鳳だそうだ。
なお、裏面の記載から、題字を彫った石工は中村金次郎とわかった。
漢籍碑文の揮毫は武州北足立郡の農民、近藤由。
漢籍碑文の撰文は、辻村彦とある。
ひるがえって,石碑裏面には、お堂の建設に協力した寄付者の名前がずらりと並ぶ。
寄付者筆頭は近藤伊吉。
また,近藤伊吉が詠んだであろう詩が刻まれていた。
刻文は変体仮名混じり。
草書体。
以下の通り,書き起こす。
ー刻文ー忘連帝も 動可左良女也 落合乃左登尓 多天ゝ之 満ことこゝ路ハー現代文ー忘れても 動かざらめや 落合の里に立ててし 誠心は詩には疎いので、深い意味は分からないが,パッと見で、「動かざらめや」と”不動”明王を掛けていること。
「心を立つこと(決意すること)」と「碑石を立てたこと」を掛けているのは何となく分かる。
強いてまとめるのなら,「もし忘れてしまっても,落合の里に立てた本当の心は動かないことであろうよ」となるか。
最後に,正面の漢籍碑文を書き起こし,訓読文と私訳を載せる(なお,◻️は剥落。
?は確認中)。
あくまで私訳なので,正確性は保証できない。
参考までに。
天一大天人一小天天有風雨之變人有盛衰之◻️浩々無邉孰能免之乎是以人因其盛衰之如何̻◻️幸禍者而不帰浄理者鮮焉往昔釋門之入我國◻️常唱無縁之慈澤周萬物然而不動明王之大威◻️執大智劍害貪瞋痴持三昧索縛難伏者住心想之中隨衆生意而作利益不盡之霊無歇亦大矣哉其霊場之於日域以総州成田山為第一矣兹有信徒於本村數名為其人温良篤實各焦思讀經呪誦而祈誓干明王以?除去病之事蒙其加護如随身之影所求圓満焉繇是同志相議建碍為設供香支場以報霊護則卜本地而為霊庭矣其地盤高燥丘形自為分界西南田圃蒼范對富嶽東北森林欝々貯翠烟遥望群山千里超忽信本郡之勝地也於之今屈信徒等任永奉神居仰刋無動之玄石?表其威徳明治十七年九月総州成田山住職照鳳篆額武陽北足立郡農近藤由敬書武陽北足立郡農辻村彦撰文【訓読】天は一大天,人は一小天,天は風雨の変を有する。
人は盛衰の?を有する。
浩々無辺,孰か之を免れ能うや。
是を以て,人は其の盛衰の如何因り,幸禍の者?。
而して,浄理帰さず者は鮮(スクナ)し。
往昔,釈門我が国にこれ入る。
?,無縁の慈澤を常に唱え,万物を周(メグ)る。
然れども,不動明王の大威? 大智の剣を執り,貪瞋痴を害し,三昧の索を持して,難伏の者を縛す。
心想の中に住む,衆生の意に随いて,利益を作(ナ)す。
不尽の霊は歇(ヤ)むなし。
亦いに大いなるかな。
其の霊場の日域に於いて,総州成田山を以て第一と為す。
茲に,本村に於いて信徒あり。
数名の其の人となり,温良篤実。
各(オノオノ),読経呪誦を焦思して,明王に祈誓し,?以て,病の事を除去し,其の加護を蒙る。
身の影に随うが如く,円満を求めるところなり。
是繇(ヨ)り,同志相議りて,碑を建て,供香支場設け,以て,霊護に報る。
則ち,本地を卜(ウラナ)いて,霊庭と為す。
その地盤は高燥。
丘形は分界を自ら為す。
西南の田圃は蒼范,富嶽に対う。
東北の森林は欝々,翠烟を貯(タクワエ)る。
群山を遥かに望み,千里超忽す。
本郡の勝地なりと信ずる。
之に於いて,今,信徒を屈め,?。
神居を永く奉り,無動の玄石を仰ぎ刋り,其の威德を表す。
【私訳】天は大宇宙であり,人は小宇宙である。
そして,天には雨風の乱れがあり,人には盛衰の?がある。
広々として果てがなく,この法則から逃れる術はない。
これにより,人間は盛衰の如何によって,幸不幸の者に?。
だから,仏の教えに帰依しない者は少ない。
大昔,仏教が我が国に入ってきた。
?は,無縁の恩恵を常に唱え,あらゆる物に行き渡った。
しかしながら,不動明王の大威は?。
(不動明王は)大智の剣を手に取って,貪・瞋・痴を妨げ,三昧の索を持って,難伏の者を縛り上げた。
そして,心の中に住み,衆生の意思にしたがって,利益を生み出す。
無尽蔵の霊力は尽きることがなく,本当に偉大である。
不動明王の霊場の中で,総州成田山の右に出るところはない。
さて,この村に信徒がいた。
何名かの人柄は温良篤実であり,それぞれ,読経や呪誦を思い焦り,不動明王に祈誓し,?以て,病を取り除き,その加護を受けた。
自分の影に従う様に円満を求めたのである。
ここに至り,同志が相談して,碑を建て,供香支場を設置し,そして,不動明王の霊護に報いることにし,そして,この地を選び,霊庭としたのである。
地盤は高燥であり,丘の形は聖域を作っており,何をせずとも世俗と分かれていた。
西南のたんぼは青々と茂り,富士山を望む。
東北の森林は鬱蒼として,霞をたくわえている。
連山を遥かに望み,果てない距離の景色を望む。
ここが足立郡の景勝地だと信じている。
この場所で,いま,(不動明王は)信徒を平伏させ,?。
そして,神の住処を末永く維持し,無動の玄石を削って,その(不動明王の)威德を伝えるものである。
名前 |
下落合不動明王堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
さいたま市中央区下落合に小さな不動明王堂を発見。