那須氏の居城として築かれた山城です。
中々の規模です。
搦手口の七曲から上がり幾つもの曲輪が連なり、深い空堀と高い土塁で仕切られ、所々に門跡と石垣が有ります。
じっくり観ると2時間くらいかかりそうです。
草も深いので虫除け対策必須です。
烏山庁舎に車を停めて脇から行けばまず展望台までの道のりが階段で登れます。
そのあと更に進むと遂に烏山城内へ。
と言っても勿論城跡ですから石垣や車橋趾など。
本丸跡、古本丸跡は木が鬱蒼としています。
夏は蚊が多くてとても休憩してられません。
お昼後に登るのが良いでしょう。
中々登り甲斐のある山城でした(笑)
山あげ会館に車を停め、市役所裏登城口から上がりました。
このルートだと筑紫山頂の毘沙門天と絶景が拝めますが、早々に約500段の石段を登る事になるので、自信の無い方は別ルートの方が良いかも知れません。
山あげ会館で踏破証を頂けますので、登った際は本丸など証拠写真を忘れずに!
2018/8/12、2019/12/292回攻め落としたが、とにかく素晴らしい山城。
堀は深く、土塁は高く、とにかく広い城域のどこを回ってもうきうき。
1回目は南側から、2回目は北東から攻めたが、また違った形で堪能できた。
写真は18枚は1回目、それ以降は2回目。
市役所駐車場に停めて、筑紫山から城跡に登り、三の丸に降りて廻ってきました。
筑紫山に登って少し降りると車橋址に至り城域になります。
登城路に沿って進むと石垣のある本丸に至ります。
本丸と堀切を挟み古本丸があり、西側を圧巻の高土塁、空堀が見られます。
古本丸北に北曲輪、その西に空堀土塁を挟んで曲輪が有ります。
いずれもそれなりに広く、他にも曲輪が展開し、規模の大きな城跡です。
城下で頂ける縄張に記載された曲輪は基本廻れましたが、西曲輪だけ行きそびれました。
トレッキングも兼ねて訪城しました。
標高200m程ですが勾配がキツイので足にきますね。
程よく整備されており、遊歩道や案内板もあるので楽しみながら回ることが出来ます。
2種類の石垣も拝めますし、土塁、竪堀が立派ですね!笠間、唐沢山、新田金山と関東に縁の無い石垣が山城にあるだけでも素晴らしいです。
七曲から登って十二曲まで、山内ゆっくり歩いて小一時間。
整備もそれなりにされていて、なかなか楽しめる山城跡でした。
縄張図とかの地図やパンフレットがあればよかった。
山城派にはかなり楽しめる城跡深い堀や土塁が多くあり立入禁止も少ないので冒険出来ます室町時代後期に那須氏が築城しました、豊臣時代に小田原攻め不参加の仕置で城を出されるまで一族が守りましたその後城主は変わりながら、麓に三ノ丸を造りそちらを主にして明治の廃藩置県まで役場として機能しました車の方は城跡側の寿亀山神社を目指して下さい、役場側はハイカー向けです、寿亀山神社に突き当たると左側が登城口です、砂利の道に縦列駐車をします、頭から入れると帰りがツライので鳥居の所に頭を突っ込んでバックで駐車しましょう神社周辺が江戸時代に造られた三ノ丸です、道路脇の江戸期の石垣を見て神社で参拝したら登城開始です砂利道を歩くと七曲りの階段の登り口にパンフレット箱があります忘れずに手に入れて下さい白地図の縄張り図と古い縄張り図の両方が載ってます見ないとかなり見逃しますよ標高差は100mチョット、七曲りを登り常磐曲輪のキレイな石垣、曳橋跡の堀切やいくつかの堀切を越えながら本丸の石垣をみて土塁上を歩き廻り古本丸、中城、北城と進みますここまでで一般観光の方は戻る方が良いかな山城攻略派はここから本番、この先は整備が間に合ってなくて道は埋もれて案内板もありません縄張り図を見ながら堀底や土塁を歩き大野曲輪から西城を目指します私は西城下の段曲輪攻略中に迷子になりチョット涙目状態💦分かりにくい若狭曲輪から何となくある道と堀切を強引に登って本丸入口に戻れました城を攻め落とした気分になれました12月初旬、写真は一応時系列で並べてます。
那須烏山市役所の駐車場を利用できます。
駐車場に烏山城についての説明板が設置されていて詳細を知ることができます。
登城口へは100メートル程で、そこから石段を上り詰めます。
やがて毘沙門山頂に到り、そこから那須烏山市街を眺めることができます。
山頂の奥から城内に入ります。
見どころは、その城域の広さです。
縄張りもしっかり残っており石垣も所々に見ることができます。
栃木県を代表する山城です。
目的地をセットして到着したのが、林の中。
ここにつくまでに熊笹や枝が突き出ていて車が傷つかないかヒヤヒヤでした。
城跡も整備されているとは言えず、規模の大きな山城なのにガッカリでした。
烏山駅から歩いて20分ほどで登城口に到着。
そこから15分ほどで本丸跡にたどり着きます。
七曲口から登りましたが、麓には三の丸跡の石垣があります。
予算や街の住民の意見もあると思いますが、本当に勿体ない城跡だと思いました。
大田原や黒羽でも勿体ないと思っていましたが、烏山城に来てまだ良い方なんだなと分かりました。
夏以外ならトレーニングで歩くのは良いかも!
数年ぶりに訪れると、下草が刈られて見学しやすくなってました。
横堀の規模が大きく、本丸や古本丸周囲の土塁と横堀は見応えあります。
下那須家初代、那須資重が築城。
上那須家が内紛で滅亡すると、下那須家が統一し、居城となる。
戦国時代には隣国の佐竹氏に度々攻められるが何れも退ける。
那須資晴の時、北条征伐に参陣しなかったことから改易され、織田信雄が入城し短期間だけ城主となった。
江戸時代では烏山藩が立藩。
短期間で城主が交代していき、大久保氏が入封すると明治維新まで続いた。
遺構は石垣や郭等が良く残っている。
春と冬の二回登城したが、春は杉花粉が目視で確認できるほど飛散している為、花粉症の人は気を付けた方が良い。
冬は猪と遭遇した為、気を付けた方が良い。
情報不足で行ったのでどこから登るのがベストで時間がどれくらいかかるかも案内が見当たらず、展望台らしきところで断念。
せめて案内書をがほしいし、置いてある場所の案内があれば嬉しかった。
中世から近世へ改変された山城を楽しめる。
石垣は亀甲積みと打ち込みはぎで時代差が分かる。
駐車場は有るが市役所に停めるのもお勧め。
石垣が有るのは本丸手前と三の丸跡。
城跡に行くなら寿亀山神社前に駐車スペース有り。
私は市役所に駐車してしまった為、筑紫山の500段弱の階段を登り、毘沙門堂を経由して尾根伝いに本丸、寿亀山神社から街道に出て4〜50分歩きました。
応永25年(1418) 那須太郎資氏の二男 沢村五郎資重(下那須家初代)の築城といわれる。
永正11年(1514) 上那須家が内紛により滅亡し、那須家統一。
天正18年(1590) 8代資晴が豊臣秀吉の小田原征伐に遅参し所領を没収されるまで、約180年間那須氏の居城となる。
那須氏改易後、織田信長二男 織田信雄が2万石で入城し、2ヶ月間城主を務めた。
以後、成田氏・松下氏・堀氏・板倉氏と続き天和4年(1681) 4代将軍徳川家綱の叔父にあたる那須資祇が2万石で旧領に復帰するも、貞享4年(1687)子の資徳の時、お家騒動で改易。
以後、永井氏・稲垣氏を挟み享保10年(1725) 大久保常晴が2万石で入封後、8代約140年続き、明治2年(1869)の版籍奉還と共に廃城となる。
那須氏の居城として築かれた山城です。
豊臣秀吉が天下統一を成し遂げると、小田原への参陣が遅れた那須氏は改易されてしまいました。
その後はわずかな期間、織田信雄が城主となり、のぼうの城で知られるようになった成田氏の居城となります。
江戸時代を通じて明治維新まで存続した稀有な城であり、今も石垣や堀切がよく残っています。
名前 |
烏山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
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専用駐車場?はあるみたいですが那須烏山市烏山庁舎の駐車場を利用したほうが良いと思います。
かなりの山道なので気軽な気持ちでは行かないほうがいいです。
スニーカーでも大丈夫だとは思いますが汚れてもいい靴がおすすめです。