尾張国知多郡大高に、あった平城です!
名古屋市緑区大高駅から徒歩10分ほどにある大高城跡。
桶狭間の戦いのときに、松平元康(徳川家康)が兵糧の運びいれに成功し、そのまま城を守った。
昔の面影は薄いながらも歴史の重さを感じるスポット。
城跡マニアにはたまらない‼️
私は、小和田先生のYouTubeのファンで良く拝見しているのですが、先生が大高城跡公園を紹介して下さった動画を拝見してGWにこちらを訪問させて頂きました。
到着が夕方だったのでお天気もずっと良くなくて、私には、鬱蒼とした怖い場所に感じられ、雨もまた降り出しらと感じられてゆっくり納得のいくまで散策が出来ずに戻ってしまいました。
あとで自分で撮影した写真を確認すると、写真は、明るく写っていました。
駐車する場所が見つけれず、主人を車中に残して一人での散策で心細かったからだったと思います。
帰宅後、気になって気になって色々ネットを調べました。
戦国時代から現在までの間に、宅地化が進み、地形的に危険という事などから改変されているとの事ですが、残ってる部分だけでも十分に昔の人々の生きていた息吹を感じる事がが出来ました。
なぜか、とても心惹かれる場所でした。
遠くて難しいけれど、また行きたいです。
今度は、主人に一緒に来てもらって、早い時間から、土塁や堀や曲輪をしっかり見て歩きたいと思います。
子供の頃近くの小学校に通っており、どうする家康開始日にあわせて、約半世紀ぶりに訪問しました。
石碑や案内板がある位で特に何もない緑地や広場になっているが、見晴らしがよく、築城場所にはうってつけだったのであろう。
家康(松平元康)が、桶狭間の戦いの時、兵糧を運び入れたと言われている「大高城跡」に行って来ました。
大高城跡には駐車場が無い為、近くの大高緑地公園第6駐車場(無料)に車を止めて、歩く事にしました。
大高城跡への道すがら、織田方の「丸根砦」「鷲巣砦」にも突撃しています😄両砦共標高30mくらいの高台で、かなり見晴らしが良かったです。
そして、JR大高駅を挟んで反対側に行くと、細い道を通った先に大高城があります。
こちらの標高は20m程度ですが、周りに高い建物が無い為、織田方の鷲巣砦、丸根砦がよく見えます。
また、鷲巣砦とかとは反対側からは、名古屋駅のビル群や、岐阜の山々まで見る事ができました。
名古屋駅までは直線距離で12〜3kmくらいありますが、綺麗に見えるもんですね😊ココ大高は、大高城から歩いて行けるところに3つも酒蔵があり、私もよく飲む「醸し人九平次」の萬乗酒造もココにありました。
知らんかった〜そういえば、大河ドラマ「どうする家康」で大高城周辺の風景がでてましたが、当時お城の目の前はすぐに海だったんですね。
当時の大高城周辺は伊勢湾に突き出たような形になっていて、今の県道59号線より西側は海だったらしく、今川にとっては三重県方面に行く湊としても欲しかった場所なんでしょうね。
最後は写真は、現地に設置してあったものです。
謎解きらしいけど、全然わからん😩
尾張国知多郡大高に、あった平城です!南北朝時代には、池田頼忠が城主を務め、永正時代に入り花井備中守・水野為善とその子忠守の居城になりました⁉️天文年間には、織田信秀の配下となり、信長になると離反して今川へ!すると信長は、丸根砦と鷲津砦を造り、大高の押さえとした!桶狭間の戦が終わると、間もなく廃城となりました⁉️その後、江戸時代に入ると、尾張藩の家老、志水家が館を構え、代々居住し、1870年明治3年に売り払われました!遺構ぶつに、石碑に土塁と二ノ丸曲輪が残るのみです!今は名古屋市が、公園として管理してます!
大河「どうする家康」関連の「どうする松本潤 家康の大冒険」という番組を見て行ってきました。
軽自動車でないと狭くて現場まで行けません。
近くの有料駐車場に駐めてそこから徒歩で向かいました。
実際の場所に立って桶狭間方面を眺めると感慨深いものがあります。
徳川家康公がまだ、松平元康と名乗っていて初陣として桶狭間合戦の時に兵糧入れをした所です。
現在は何も無いです。
探すのが少し大変でしたが、行けて良かったです。
桶狭間の戦いの際に今川方の松平元康が守っていた城。
土橋や空堀が見どころなのだが、贅沢言っちゃえばもう少しわかりやすく整備してほしかったところ。
公園なのに、肝心の見どころであ肝心の見どころである空堀がやぶ。
スズメバチが飛んでいたので、深入りせずに撤収した。
国指定史跡。
1560年桶狭間の合戦後、まもなく廃城された。
1616年尾張藩家老の志水家が、ここに館を設けてから代々住むようになった。
1938年に国の史跡に指定され、現在は「大高城址公園」として整備されている。
かつては二重の堀が張り巡らせてあったというが、現存する主な遺構は、本丸及び二の丸の曲輪跡、それらの間に存在する土橋と空堀などである。
また本丸隅の一段高くなった区画には城山八幡社と、1907年に建てられた城址碑がある。
城跡を示す石碑や説明板はありますが、本丸跡とか二の丸跡とか空堀跡といった標識は全くありません。
城の概略図もありません。
一体なぜでしょうか?「おでかけ大高マップ」を見ていたら、兵糧入れに成功した家康はこちらの城で待機していた時に、桶狭間の合戦、義元討ち死の知らせを聞いたそうです。
若き日の家康が活躍し、人生の転機になった意義深い城なので、もう少しきちんと整備してほしいと思います。
大高城跡から他の砦跡との位置関係だけ分かれば、手を加えず今のままで在り続けて頂いて十分です。
大高城(おおだかじょう)は、尾張国知多郡大高村(現・名古屋市緑区大高町)にあった日本の城。
桶狭間の戦いの前哨戦として、当時今川義元の配下であった松平元康(徳川家康)が「兵糧入れ」をおこなったことで名高い。
現在は国の史跡に指定され、公園として整備されている。
築城年代ははっきりしないが、土岐頼康が尾張守であった南北朝期には池田頼忠が城主を務め、永正年代には花井備中守や、水野為善とその息子の忠守が居城したことが伝えられている(為善については異説もある。
また忠守は水野忠政の息子の水野忠守とは別人)。
桶狭間の戦いツアー5桶狭間の戦い時に今川方のお城でした。
今川義元は、この城に向かう途中の桶狭間で討たれました。
丸根砦と鷲津砦に囲まれていて、この3箇所はセットで行くのがオススメです。
ただ、駐車場が全然なく、道も非常に狭いため、ご注意ください。
大河ドラマで徳川家康が兵糧を運んだ場所として有名です。
当時の跡が残る敷地が散策でき、公園として活用されている。
歴史を感じる!もっと大切にしてほしい。
地域や地区、自治体がもっと応援してくれればと、、、コストはかかるだろうけど、もっと大切に、皆も関心を持ってくれればいいのに、勿体無い。
日本を大切に🇯🇵です。
近くにも色々史跡あるので、地区で囲い込みの史跡マップな度是非是非欲しいです。
40年ぶりに行って来ました☀️
戦国三大奇襲戦のひとつ、【桶狭間の戦い】に深く関わる大高城。
更に、若き日の徳川家康(松平元康)による【大高の兵糧入れ】でも知られています。
近隣には、今川方の大高城に対する、織田方の丸根砦、鷲巣砦、少し離れてはいますが、豊明市の桶狭間古戦場、戦人塚、沓掛城址も合わせて訪れれば、その時代に思いを馳せることができます。
ただ、これらの史跡としての整備があまり出来ていません。
大高城跡は、公園とは名ばかりの朽ちかけたベンチと簡易トイレがあるだけです。
土日祝日限定の巡回バスが運行していますが、史跡の保全、管理、再整備が進まなければ誰も「バスがあるから行ってみよう」とは思わないです。
鷹の夢で一杯。
わかりにくい所に在りますが静かなところで簡易トイレも有ります。
本田忠勝初陣兵糧入れの城。
高台にあり割りと草ボウボウです、藪蚊に刺されます。
歴史的に貴重。
名前 |
大高城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
052-625-3878 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
大高緑地第6駐車場に車を停めて歩きました。
だいたい20分くらいです。
当時の城の二の丸、三の丸思わせる広場が数箇所と、空堀があります。
鷲津砦跡、丸根砦跡の3箇所をゆっくり歩いて回って2時間くらいでした。