かつてここにあった名木の松の跡地。
松には、源頼朝または源義家の伝承が残されていたそうです。
現在は、山手通りの脇のマンションの前に看板があるだけです。
案内板あり。
「奥州藤原氏の征伐に向かった源頼朝(または、それよりも更に古い八幡太郎義家)が自身の馬を繋いだ松」という伝説のある巨木があった様よである。
以下に、案内板の内容を書き起こす。
鞍掛の松 伝承地現在では道路となっていますが、この付近には、かつて「鞍掛の松」と呼ばれていた名木がありました。
のちに松にちなんでこの付近は一本松と呼ばれるようになり、松は目印となっていたようです。
この松については、江戸時代でも早い時期に編纂された「江戸鹿子」には、「所の人ハ古へ右大将源頼朝奥州征伐の時、此野に来、土肥月毛と云馬を此木につなき、同く鞍を此木に懸給ふと云、此木枝たれて木形面白く又比類なき松なり」と記され、頼朝が奥州征伐の折、鞍をかけた松として紹介しています。
また、「江戸鹿子」よりのちに書かれた「江戸砂子」では、頼朝でなく義家が奥州征伐(後三年の役)に行ったときの話としています。
いずれにしても区内にある伝承地(旗洗池・勢揃坂)と同じく、関東地方特有の源氏伝承のひとつといえましょう。
松は、幕末・明治の激動期に枯死し、新しい松が昭和十七・八年頃まで存在していたようですが、道路(山手通り)の拡幅工事のため取り払われてしまいました。
説明板のみあります。
遥か昔、源頼朝が鞍をかけたとされる名木があったそうです。
今はその伝承を記す渋谷教育委員会の看板が存在するのみ。
わざわざ見に行く様な物ではないですが、ここら辺りの山手通りは新しく綺麗に整備されているので、そんな昔の風景を想像すると少しだけ面白いかも知れません。
名前 |
鞍掛の松 伝承地 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.0 |
大宮八幡宮への参道になにげに大きな松が一本。
平安時代へさかのぼり歴史が感じられます。