大野・下市場・前田の三つの支城がありました。
周囲の道路はとてつもなく狭いので車では来ない方が良いかも、公園は石碑と案内とベンチのみ。
祝日だったからか歴史資料館は閉館さしてました。
「小牧長久手の戦い」で秀吉大敗による雪辱戦となった「蟹江合戦」の舞台となった城。
現在は石碑と本丸井戸跡を残すのみです。
近くの歴史民族資料感にこの戦に関する展示物が有ります。
戦国時代には、本丸・二の丸・三の丸の三郭があり、大野・下市場・前田の三つの支城がありました。
天正12年(1584年)に起きた蟹江城合戦と翌年の大地震で崩壊し廃城になりました。
現在は住宅地に城趾の石碑と本丸井戸跡が残るのみです。
近隣にある蟹江町歴史民俗資料館に城趾の地図があります。
資料館の駐車場から数分の所です。
本丸井戸跡は、民家の塀に隣接しポツンとあるので少し探しにくいです。
産業文化会館から狭い道を南西方角に歩きます。
休憩場所のようなスペースがあり『石碑』がありました。
「蟹江城は永享年間に北条時任が築城したとされる。
天正12年には小牧・長久手の戦いの一部として激しい戦いがあり、蟹江合戦として知られている。
城は翌年の地震により廃城となり、現在は石碑と本丸井戸跡が残るのみ」とありますが、『本丸井戸跡』を見つける事はできませんでした。
この敷地は『蟹江城址公園』公園と言っても、観光案内マップが掲示されているのと、正方形の座れる休憩場所があるだけでした。
(2023/6)
信長がこの蟹江城から清須攻めの時に進軍した城だと言うことで訪問しました。
かつての蟹江城は、南部が伊勢湾に面して、水上交通の要衝地でした。
永享年間(1429~41)に北条時任が蟹江に砦を築きました。
その後、尾張国の守護であった斯波氏が城郭として整備し、天文年間(1532〜1555)には渡辺源十郎・与三郎親子が支配しました。
永禄年間(1558〜1570)には織田信長の勢力下には入り、信長は配下の滝川一益に命じて改築をさせています。
その後、天勝11年(1583)には佐久間正勝(信栄)が城主となりました。
蟹江城をめぐる戦いは何度かありましたが、なかでも天勝12年(1584)に織田信勝・徳川家康連合軍と羽柴秀吉の配下・滝川一益軍との間で行われた戦いは「蟹江合戦」として、後世に伝わっています。
織田家臣だった九鬼嘉隆さんもこの時参戦していました。
私は、信長の命によって鉄板船を造った九鬼さんのファンですので嬉しくなりました。
遺構は残っていません。
唯一井戸跡が残っています。
駐車場は、近くの歴史資料館の駐車場が借りれます。
城跡は駐車場から徒歩1分です。
真田戦記蟹江城跡愛知県海部郡蟹江町城1丁目112蟹江城は永享年間(1429年 - 1440年)に北条時任なるものが築いたのが最初とされています。
1567年頃、織田家で北伊勢攻略の時、先鋒を命ぜられた滝川一益がその一時期、居城としていたようです。
この城をめぐり1584年に起こった羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍との間でひと戦行われます。
戦は篭城戦でした。
当時は前田長定が留守を守っていました。
滝川一益は秀吉陣営として参戦しています。
秀吉は神戸城に陣していた一益に蟹江城乗っ取りを命じました。
一益は九鬼水軍とともに六月十六日、沖合いから川を遡り、蟹江城に迫ります。
それを聞いた織田信雄・徳川家康連合軍側も織田信雄は兵2千、家康も手勢を率いて出陣します。
勝算のないことを悟った一益は降伏を申し入れました。
翌年には天正地震により崩れ廃城となりました。
信長亡きあと、平和であった尾張も、戦場となりました。
歴史の表舞台に立つことになった蟹江合戦の跡。
きれいに後世に残そうとされています。
住宅街にひっそりとある場所。
車で行くと脱出不可能になる可能性があるので注意。
近くの歴史民俗資料館に車を停めていきましょう。
南側の道を少し西に行くと井戸の跡もありますよ。
「小牧・長久手の戦い」の関連史跡巡り🚶・1584年4月…長久手の合戦…家康勝利・1584年5月…竹ヶ鼻の合戦…秀吉勝利⇒第一次竹ヶ鼻の合戦/秀吉三大水攻め・1584年6月…蟹江の合戦⇒蟹江城争奪戦‼️蟹江城が伊勢長島城/織田信雄と清須城/徳川家康の中間点、更に津島・熱田に並ぶ海上交通の要衝、羽柴秀吉が信長軍団/5大将だった滝川一益親子登用し「長島城と清須城の分断」作戦決行、一時は羽柴側が蟹江城奪取も織田信雄・徳川家康連合軍直々に参戦し落城、家康の勝利。
長久手の合戦と同じように秀吉本隊は間に合わず、面目失う🥺⇒秀吉は、これ以降「家康の武力制圧を断念」、全国的には無名な蟹江合戦ですが、蟹江合戦勝利で家康の武将/大名としての確固たる存在感確立🤔これを最後に信長軍団/5大将・関東総司令官だった滝川一益は表舞台から消え、前田本家も縮小、海賊大名/九鬼嘉隆は秀吉に大名に取り立てられました😲蟹江合戦後の翌年1585年に天正大地震発生(飛騨の黄金伝説で有名な帰雲城もこの時壊滅)、蟹江城も壊滅、その後に築城などもなく、現状は住宅街で跡形も無し、本丸井戸跡だけが残り、小さいながら城址公園にひっそりと石碑が建ちます。
道は狭いので蟹江町産業文化会館・歴史民俗資料館の駐車場利用、徒歩2分、序でに関係するパンフレットなども置いてあるので覗いて下さい、無料👀長久手の合戦だけではなく、もう少し蟹江合戦にも焦点当てて欲しいなと思います、内容は長久手の合戦より派手なんですヨ⁉️
住宅街の公園の様なスペースに、蟹江城址と書かれた大きな石碑と東屋があるのみ。
東方に井戸跡がある。
1584年に豊臣軍と徳川軍がこの城を巡る合戦を行った歴史が残る。
JR蟹江駅からは徒歩10~15分程でアクセス可。
周辺の歴史資料館駐車場に車を停めて城址に向かい、2~3分歩くと左手側に城址が見え、裏側から入ることになります。
公園は綺麗で、表側へ進み、右手側に曲がると井戸跡があります。
住宅街の一画にある。
近くの郷土資料館は、緊急事態宣言により閉館しています。
気をつけて下さい。
住宅街にあって車では道が狭く行けません。
でも綺麗に整備してあり訪れてみて良かったです。
とにかく、道が狭いです。
どこでも車で行くタイプですが、軽自動車さえも通ることのできない、こんな街が今どき愛知県にあるのかとさえ思ってしまう、とんでもないところでした。
城跡というよりも、そこが印象的でした。
とりあえず、石碑のある城跡公園的なところと、井戸の跡があります。
小さな城址公園に立派な石碑が建っています。
駐車場は近くの歴史民族資料館の駐車場を利用します。
さわやかウォーキングで、訪問しました。
石碑があります。
蟹江城(かにえじょう)は、尾張国海部郡蟹江(現在の愛知県海部郡蟹江町)にあった中世の日本の城(平城)。
蟹江城は永享年間(1429年 - 1440年)に北条時任(ときとう)が城塞を築いたのがはじめと言われ、戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭(さんかく)があり、大野、下市場、前田の三つの支城があった。
しかし、1584年(天正12年)に起きた蟹江城合戦と翌年の大地震で壊滅した。
現在は住宅地に城址の石碑と本丸井戸跡が残るのみである。
蟹江町歴史民俗資料館の受付で城跡の地図が貰える。
かつて蟹江合戦が行われた蟹江城も今や石碑と本丸井戸のみ。
城の痕跡は全くありません。
一体どんな城だったのでしょうか?海の近くなので桑名城や長浜城のような水城だったのではないかと思いますが、どうでしょうか?蟹江合戦について語っておくと、これは小牧・長久手の合戦の時に起きたものです。
守る織田・徳川方に対し、攻める羽柴方は滝川一益を主将に九鬼水軍を投入した大規模なものでした。
果たして戦の行方は・・・知りたい方は蟹江町歴史民俗資料館に足を運んで下さい。
ついでに蟹江合戦にまつわる興味深いエピソードも一つ紹介します。
題して「蟹江版ガンマンの決闘」!・・・それにしてもハリウッド映画でも西部劇など殆ど作られなくなった昨今(敢えて言えば「バック・トゥー・ザ・フューチャー3」ぐらいでしょうか)、ガンマンなんて殆ど死語ですね(笑)。
それはともかく、蟹江合戦の時に織田・徳川方の間宮信高と羽柴方の村田七大夫という二人の鉄砲の名手が鉄砲による一騎打ち(鉄砲なのに一騎打ちと言うのも変ですね)が行われました。
お互い名乗りを上げて鉄砲を放ちました。
そして勝者は・・・気になる方はやはり蟹江町歴史民俗資料館に足を運んで下さい。
他にも蟹江の郷土食である茶がゆも蟹江合戦の時に生まれたと云われているそうです。
このように色々話題のある蟹江合戦ですので、詳しく知りたい方は兎に角、蟹江町歴史民俗資料館へ足を運んで下さい!
他の城跡と随分違い非常に分かりづらい。
二車線道路に道路標識の案内板が有るのに、標識通り片側1車線の道へ入っていくと、駐車場も無くどんどん狭くなって、その後の案内板も無い。
引き返し、しばらく周りを走って見たが見つけられず、小さな公園が有ったので、多分これだろうと近くの信金の駐車場に停め、歩いていくと堀の跡のような川っぽいものがあり、山感でそれに沿うように歩くと、アパートに隠れるようにそれらしい一画が姿を表しました。
石碑と井戸跡、説明板、お茶の木が比較的新しく整備された状態で有りました。
平地で住宅街の中に有り、入り口しか案内板が無いので徒歩で行かれる方が無難だと思います。
駐車場が無いうえ、車の通り抜けも出来ません。
見学する場合は蟹江町産業文化会館の駐車場に停めて徒歩1〜2分です。
とにかく、ここまで来れた。
軽四だからこそですね。
住宅地の中にありました。
場所を探すのが大変でした。
ただ、歴史を偲ぶことはできました。
名前 |
蟹江城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.2 |
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東京から2時間10560,名古屋で新幹線から四日市方面各停に乗換4駅目蟹江駅南口から徒歩20分位、現在は記念碑が残っているだけですが、小牧・長久手の戦いの次に織田信雄・徳川家康連合軍を豊臣秀吉が滝川一益や九鬼嘉隆を先鋒に調略して蟹江城を、占拠するも応じなかった山口重政らの反撃で結局和平の流れに。
津本陽氏の下天の夢夢のまた夢邯鄲の夢信長秀吉家康の3部作で秀吉の賤ヶ岳に匹敵する家康の勝利とあったので尾張名古屋は城で持つですが敢えて此方を訪問しました。