栽柳園(さいりゅうえん) / / / .
名前 |
栽柳園(さいりゅうえん) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0965-33-4533 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.city.yatsushiro.lg.jp/kankou/kiji003391/index.html |
評価 |
3.0 |
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第九代の八代城代であった松井章之(てるゆき)が、明治六年(1873)に細川家の茶道役古市師に設計させ、松井家茶道方徳永吉澄(古市の高弟)が作庭した庭園です。
章之(てるゆき)は、盈之(みつゆき)に家督を譲りこの地に隠居していましたが、能楽を好み邸内の能舞台で稽古に励み全盛を見たといいます。
当時は、池のふちまで屋敷が建てられており、座敷から池を隔てて眺めた築山は、駿河湾から富士山を眺めた景観を模しています。
かつては球磨川から池の水を引いており、堤防近くの水路を廻って、座敷正面の岩のところで滝となり流れ落ちていたそうです。
また、栽柳園は西南の役では薩摩軍の本陣となり、その後明治四十一年(1908)には植柳小学校の校地となりました。
また、昭和二十七年に球磨川の新堤防ができた際、堤防の桜は切られ、この敷地内の多くの樹木が移植された結果、庭園自体も小規模なものになっています。
園内にあった建物は明治3年に廃城となった八代城内の建物の一部を移築したと言われ、明治41年にこの地が植柳小学校となったあとは三の丸に移築されましたが現在は残っていません。
小学校の敷地内には渡り廊下など一部が残っています。
昭和二十七年当時は戦後間もなく、人口が急増していた時代でもあり、庭園を縮小してでも学校用地を確保する事が急務だったと推察され、歴史的な価値を有するこの地を往時の姿で保存出来なかったことは残念です。
現在の栽柳園を見ると、お世辞にも奇麗に手入れされているとは言えまない、寧ろ荒れ放題で説明版も十分ではありません。
せめて市指定の名勝庭園らしく見えるようにしていただきたいなと思います。