そうするには山に登らなくてはならない。
下宮の脇道を通って上がります。
写真120分ほど登る。
写真2.3中宮到着。
写真4引き続き登ると二股に。
左の石段を進むと上宮があります。
写真5.6
2021年5月26日に訪れました。
麻底良山頂上に有りますがかなり荒れていました。
朝倉の名前の由来は「麻弖良」で、これは【アマテラス」の名残だと思われる。
この地「山田」は邪馬台国《ヤマダ国》だった。
(草書体で解く邪馬台国ので謎、井上悦文 p9
下宮はショボいので上宮に詣るのだが、そうするには山に登らなくてはならない。
小生が登ったのは水害より前だったので、今では地形が変わっているかも。
でも健康上の問題で、再訪は困難なので悪しからず。
何だか読みにくい社号は「まてらふ」と読む。
たぶん当て字、だとしても「まてらう」なる神はない。
アマテラス説もあるけれど、根拠は無い。
アサクラと読むには無理がある。
延喜式にも同じ社号を載せるので、この山を古くから「まてら」山と呼び、この山の神を祀るのであろうことは窺える。
普門院という寺を目印に、道を上る。
車を駐め、礼拝してから柿畑の道を進むと、鳥居に至る。
鳥居横に「左右良城跡」石碑。
道は狭くなるが、鳥居から少し先まで舗装され、駐車できそうな場所もある。
山道に入ると、道は二手に分かれる。
ここは、どちらでもよい。
少し進むと、下宮がある。
下宮というより遙拝所かな、これは。
下宮から進むと山林が途切れ、いきなり柿畑に進入。
狼狽えつつも見上げると、右手に山が見える。
柿畑の途中から右に折れ、再び山道に入る。
ガードレールのようなものが立つ以外、道案内の看板は無いので注意。
斉明紀7年に「朝倉山」が登場する。
…五月乙未朔癸卯、天皇、朝倉橘廣庭宮に遷り居ます。
是の時、朝倉山の木を伐り除ひて此の宮を作りし故、神ぞ忿りて殿を壤ち、亦た宮中に鬼火を見る。
是の由、大舍人及び諸近侍の病に死す者衆し。
…秋七月甲午朔丁巳、天皇、朝倉宮に崩る。
八月甲子朔、皇太子、天皇の喪に徒奉り、磐瀬宮に還り至る。
是の夕べに朝倉山上に鬼有り、大笠を着け喪儀を臨み看る、衆皆嗟き怪しぶ。
ところが朝倉市に「朝倉山」は無い。
この麻底良山のこととされる。
よく判らないので登ってみた訳で。
しかし見た所、普通に山である。
山頂に坐す上宮の手前に祠が並び、「十九社」なる扁額が落ちている。
ぎょっとしたが、神名を見ると筑前の式内社ばかり。
つまり筑前國の式内社を集めたもので、ここで式内社巡りができる仕組みらしい。
山頂を示す標識に「麻底良山(295m)」とある。
山頂にしては開けた場所に、上宮が坐す。
立木に囲まれ、見通しは悪い。
上宮の瓦に枯葉が積もり、前面に壁もない拝殿は埃まみれ、杖ではなく箒を持ってくるべきだったか。
「まてらう」とは何なのか、朝倉山のことなのか。
登ってみても、結局よく判らなかった。
ただ、湿気が籠り易い地形に感じる。
未だに正体不明の「鬼火」も、湿地に起きる現象であるらしい。
「鬼」といって我々が思い浮かべる姿は平安時代以降のもので、ここでの「鬼」は幽霊のようなものに近いであろう。
たぶんバールのようなもので打ち掛かろうとしても、空振り三振に打ち取られるような相手に違いない。
思うに「大笠を着けた鬼」とはブロッケン現象ではないか。
「ブロッケンの怪物」というのは影法師に過ぎないけれど、現象の本体は円型の虹。
水滴が無ければ発生しない。
病死が多かったというのも、夏季に湿気の多い土地へ来たからだろう。
熱中症や食中りが多発したに違いない。
お勤めご苦労様であった…
日本書記に出てくる式内社の古社。
昨年の北部九州豪雨の被災地のため、どうなっているか不明でしたが、行ける所まで行ってみようの気持ちで参拝しました。
下宮の手前は、土砂が流れて果樹園に流れ込んだままでした。
山道の参道は、急な坂道ですが下草が刈られていて歩きやすかったです。
上宮付近で崩れた箇所にブルーシートが掛けてありました。
スニーカーだと滑りやすいので、トレッキングシューズでの参拝をお勧めします。
無事上宮まで行けてホットしました。
この辺りは、斉明帝、中大兄皇子、藤原鎌足が滞在した朝倉橘広庭宮に近く所縁の伝承地が沢山あり、歴史散歩向きです。
あまり高い山ではないけれどここでしか見れない様な四角に割れている石が多く霊験あらたかなるパワースポットらしいから⁉️
名前 |
麻氐良布神社(上宮) |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
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登山道は整備されているので道迷いや危険な箇所はありませんがそこそこの坂道ですので登山靴で登ったほうが良いと思います。
駐車場は普門院さんのところをお借りしました。
ありがとうございました。
山頂の奥社まで30分ほどでした。