名前 |
報光寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0587-56-4518 |
住所 |
|
評価 |
3.4 |
報光寺沿革の碑 文字起こしに句点カッコ内補足入れました。
当報光寺は高雲山と号し浄土真宗大谷派に属す境内は四千三百七坪(現在は1,796坪)堂宇宏壮にして伽藍の輪奐克く整い本堂は二十三世瑞閑師の住職の時安政二(1855)年に再建せられ以来星霜を経て現在に至る抑々当山報光寺は文徳天皇の仁寿二(852)年四月八日慈覚大師の開基である、その当時は鸞林山薬王寺と称し天台宗であった、当時寺運は頽廃していたが後堀河天皇の貞永元(1232)年親鸞聖人の東国教化の帰途立寄らる、当時の住僧性信房は聖人に帰依して真宗に改宗し寺名を現在の報光寺に改めた、親鸞聖人は親しく阿弥陀如来の尊像を彫刻して之を性信房に授與された、現在の本尊は即ちこれである爾来寺運は漸く盛境に進み近郷信仰の中心となった性信房の中興の大業は嘉禎元(1235)年以降の事である現今の堂宇には 本堂庫裏経蔵鐘楼等あり尾北第一の大伽藍である山門の如きは実に堂々たるものであってその壮大さ尾北一奇観を呈し附近に其比を見ない、以来法燈弥々輝き檀信徒益々栄え寺門の隆盛を見るにいたった、然るに昭和三十四(1959)年九月末曾有の伊勢湾台風に依り本堂その他に盡大なる被害を受け其悲惨な状態は名状すべからざるものがあった、ここに於いて檀徒総代協議の結果大修理をなす事に決し約半蔵を費やし大修理を完成す 昭和三十九(1964)年十月 見真大師七百回御遠忌を執行す以上は当報光寺の古文書より集録し御遠忌までの状況を畧記す八十翁 水音 昭和五十年十月吉日※性信 1187-1275鎌倉中期の真宗の僧。
親鸞二十四輩の筆頭。
国宝『教行信証』草稿本(坂東本)の当初の所持者として著名。
尾北ホームニュース「郷土の寺院」平成17年1月15日掲載によれば、「江戸浅草の高龍山報恩寺の末寺として高雲山報光寺と号した」という。