軍事的に重要な役割を果たしてきました。
真田戦記小口城址公園愛知県丹羽郡大口町城屋敷1丁目261小口城は城域はかなり広く北東に犬山城、南西に岩倉譲という位置関係にあり、軍事的に重要な役割を果たしてきました。
小口城は、1459年、織田遠江守広近によって築城されたと言われており、別名「箭筈城」とも呼ばれ、織田氏の尾張経営の中心的役割を担ってきました。
その後、永禄年間(1558~1569)に信長の軍勢に攻略され廃城となったようですが、1584年小牧・長久手の戦では、一時的に秀吉方の前戦基地として再興されたこともありました。
政治的・軍事的にいかに重要な位置にあったかが伺われます。
2020.10.29更新コロナ感染予防対策から、物見櫓への入場は暫く中止。
本日は晴天なり、早く元通りに会場して欲しいものです。
🏯小口城址公園物見櫓から、小牧山城と稲葉山城(岐阜城)を望む 丹羽郡大口町❇️織田信長は、稲葉山城(岐阜城)を攻略する為、斉藤龍興に味方する犬山城主織田信清を討つ作戦に出た。
❇️1565年信清の家臣で小口城主中島豊後守を丹羽長秀が調略し犬山城の信清は落城した。
その20年後の1586年には、小牧長久手の合戦で豊臣秀吉側が陣を置いた。
@ 小口城址公園綺麗に整備された城跡公園ビル4階~5階建相当の櫓からの眺め良し資料館も園内にあり、どちらも無料月曜火曜休館。
岩倉織田氏の城跡。
織田信長に攻められ落城。
その後、小牧長久手の戦いにて使用したが、その後、再び廃城。
現在、土累や掘が残る。
復元の門、物見櫓がある。
中は無料で入れる。
名前 |
小口城址公園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0587-95-1111 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
小さいけど歴史を知ることのできる城跡です。
小口城は、長禄3年(1459)織田遠江守広近(おだとおとうみのかみひろちか)によって築城されたといわれてます。
展示棟には、ジオラマもありました。
北東に犬山城、南西に岩倉城、南東に青塚(砦)、小牧山というような位置関係にあり、小口城は軍事的に重要な役割を果たしています。
復門をくぐり、左手に物見櫓があります。
5階まで上がると南東に「青塚(砦)古墳」北東に「楽田城」が見渡せるます。
(2023/5)