ご参拝の日によっては御朱印が頂ける。
11月4日土曜日盆栽や庭木を眺め、本堂にそっと手を合わせました。
その背中には鳳凰堂の背面が…
国宝の中を見せてもらいました。
保存の為、触らないでと注意されての拝観でしたが踏みしてめているその場所も国宝かと思うと緊張しました。
良い体験をさせてもらい心が洗われる気持ちにもなりました。
⭐️平等院の塔頭(たっちゅう)、15世紀後半(明応年間)に平等院修復のために浄土宗の栄久上人が開創した寺😄⭐️伏見城からの移築とされる国の重要文化財である「養林庵書院」は浄土院内に存在、本堂左手の「大書院(非公開)」は平等院内最古の書院、境内東側に禅宗様式「羅漢堂(非公開)」は江戸時代の寛永17年(1640年)の建造と棟札で明確、本堂前の庭からは鳳凰堂の背面が眺められます👀
平等院塔頭の一つ。
荒廃した平等院を復興するため建てられた浄土宗の寺院である。
こちら所蔵の文化財もミュージアムで公開されている。
立派なお堂です。
南門から入ってすぐです。
明応年間(15世紀後半)栄久上人が此の寺に入られ、荒廃した平等院の修復にあたられたとの事ですよね。
平等院を管理している塔頭の一つで浄土宗の寺院です。
隣の最勝院より以前から荒廃した平等院を世話してきた寺院です。
源頼政公の家臣で後に通園との名で知られる初代の古川右内の墓が敷地内に有ります。
現在では宇治橋の袂で同じ通園の名で茶団子を販売されていたりする地元の名家の方で特に千利休と重なる秀吉の時代の話などが良くテレビで目にします。
江戸時代に廃城となった伏見城の遺構とされる養林庵書院(重要文化財)が知られていますが現在は非公開で塀越しに屋根だけが見えます。
平等院の塔頭である浄土院は平等院修復の為に開創した寺と伝わってます。
ご参拝の日によっては御朱印が頂ける。
意外と見所が多い。
お庭の北山杉が綺麗です。
趣が有ります。
ミュージアムからの坂を降りたところにある浄土院。
平等院には、最勝院と浄土院のふたつの塔頭寺院があります。
浄土院は本堂、羅漢堂、養林庵書院で成り立っています。
御朱印は日によって頂けない日もあるそうなので注意が必要です。
御朱印の中央には無量寿の言葉。
阿弥陀仏の別名で、量り知れない寿命を持つ者という意味だそうです。
養林庵書院様の御由緒です。
浄土院は浄土宗の寺院です。
明応年間(1492~1501)に浄土宗の僧・栄久上人が平等院修復の為に創建したと言われています。
浄土院の養林庵書院は慶長6年(1601)に加傳和尚が伏見城から移築したと伝えられています。
国の重要文化財に指定。
浄土院羅漢堂は、寛永17年(1640)建立。
内部の鏡天井に描かれた龍のの彩色画がお見事だそうだ。
左が通圓家 初代太敬庵通圓の墓。
通圓家初代は、古川右内といい源頼政の家臣でした。
頼政から「政」の字を貰って太敬庵通圓政久と名乗り、平治の乱の、宇治橋の東詰に庵を結びました。
治承4年(1180)頼政が以仁王を奉じて平氏打倒の兵を挙げると、頼政の元へ馳せ参じて宇治橋の合戦で平家の群と戦い、討ち死にし遂げました。
源頼政の家臣だった通圓家の初代は、頼政から「政」の字を賜り「太敬庵通圓政久」と名乗り、宇治橋東詰に庵を結びました。
治承4年(1180)宇治橋の合戦で平家の群と戦い、討死にしました。
現在も宇治橋にある「通圓茶屋」は800年以上もの歴史がある、世界水準でも超老舗。
狂言「通圓」や吉川英治作『宮本武蔵』にも登場してます。
重要文化財。
檜皮葺の美しい屋根が見える。
名前 |
平等院浄土院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0774-21-3052 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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平等院の塔頭の一つです。