木々の間からの日光が気持ちよかったです。
「やまだむらいつきのみや」と読みます。
伊野天照皇大神宮と共に九州のお伊勢さんと云われている神社です。
神のお告げを疑い祟りを受けて崩御した仲哀天皇を、妻の神功皇后が弔おうと六所神を祀り造営したのが由来と言われています。
朝、雨が降っていましたが晴れて、木々の間からの日光が気持ちよかったです。
すごく心が落ち着く場所でした。
また来たいと思います。
神功皇后伝承地仲哀天皇崩御後に香椎宮からこの地に群臣や百寮を率いて移った。
御祭神天疎向津姫命(天照大御神)・武甕槌神・事代主命・住吉大神・息長足姫神(神功皇后)香椎宮からは直線距離で東へ約3kmほどだろうか、仲哀天皇崩御には諸説あるが皇后や群臣に危機意識があったのだろう。
多少なりと守りを固めやすい安全な内陸側に移動したように思える。
当社と香椎宮の間には武内宿祢が陣営を置いた片山(かため山の転訛)に黒男神社が鎮座する。
当社は猪野川傍に鎮座し清浄な神域となっている。
周辺の関連神社とセットで考えると当時の切迫した情景が目に浮かぶようである。
また徒歩圏内には六所宮跡(川の氾濫で斎宮に合祀)や仲哀天皇崩御に際して審神者を務めた中臣烏賊津使主を祀る審神者神社が鎮座する。
神功皇后が新羅征伐の時に自ら神主となり神教を祈願された地であり、仲哀天皇崩御の後に神功皇后が、喪を隠して賊徒を征伐する業をお継ぎになり、香椎宮から群臣や百寮を率いて此の地に行啓され、お住まいになったところが聖母屋敷(しょうもやしき)。
当時、博多湾に直に接する土地に在る香椎宮は防衛に課題があるため、内陸部に遷宮したという事らしいです。
「聖母屋敷」と呼ばれたのは、出産後に此処で御子(後の応神天皇)をお育てになったから。
愛する夫・仲哀天皇の俄かな崩御、自ら軍を率いての賊徒征伐、そして出産。
一時も気を抜けぬ情勢の只中で、此処で御子を抱く時だけは、優しい聖母の顔に戻られたのでしょうか。
此の地に暫し佇み、銀杏の葉の揺れを見ていると、そんな情景が偲ばれます。
駐車場はありませんが、道路を挟んだ五十鈴川の傍に駐車できるスペースが在ります。
社務所は無く無人なので御朱印はありませんが、氏子さんが管理しておられるのでしょうか、清掃が行き届き、小さいながら風情豊かなお宮です。
落ち着いた感じの、清掃が行き届いている綺麗な神社でした。
駐車場も数台は停められます。
名前 |
山田邑斎宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
神功皇后ゆかりの地、境内にトトロでも居そうな穴の開いた木があり、何か神秘な空間になります。