名前 |
大作神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
2021年8月19日に参拝しました。
本名は、下斗米将真(しもとめまさざね)、通称秀之進(ひでのしん)と言います。
江戸で平山行蔵の平山道場で実用流を学び、北海防備を唱えました。
帰郷後、文政元年に金田一前平(現在の金田一字新田野)に兵聖閣演武場をつくって、門人の育成に励みました。
文政4年1821年に津軽藩主の津軽寧親公を秋田県大館市から矢立峠に向う途中の白沢で要撃しようとしましたが、計画が漏れてしまい、未遂となりました。
関わりのあった方々に害が及ばないように相馬大作と変名して江戸に移り住みましたが、吏卒に捕らわれます。
文政5年1822年獄門となり、小塚原の刑場で首がさらされました。
享年34歳でした。
門弟の関良助も小塚原で死罪となっています。
23歳の若さで亡くなっています。
南部公が盛岡の不来方城内に相馬大作を密かに祀った社が、光考社です。
城内から盛岡八幡宮に、そして二戸市福岡の横丁、昭和7年1932年に現在の呑香稲荷神社境内に遷座する際に光考社から大作神社に改めました。