東京藝術大学学長宮田亮平氏の作品です。
山門の左側にあります。
山門をくぐったらすぐ左を見てください。
新しく制作された活人剣は、東京藝術大学学長宮田亮平氏の作品です。
山門横に見応え十分にそびえ立っておりますので、可睡齋にお越しの際は是非ご覧いただきたいです。
活人剣由来活人剣は日清戦争当時の中国全権大使李鴻章と日本陸軍軍医総監の佐藤進の物語に由来します。
暴漢に襲われて重傷を負った李鴻章を佐藤が治療した際、李が帯刀姿の佐藤に「医事に剣が必要か」と尋ねたところ、可睡齋で禅の修行を積んでた佐藤が「人をあやめる剣ではなく、生(活)かすための活人剣だ」と答えたことにより、李は深く感動し、交流は続いたということです。
この話に感銘を受けた可睡齋齋主が1900年、彫刻家の高村光雲に依頼して、剣の形をした碑を作ったが、太平洋戦争時の金属供出で剣の部分が失われ、長らく石の台座だけとなっていました。
このため、同寺や市民団体が復活に乗り出し、金属工芸家の宮田亮平氏が新活人剣の碑を2015年に完成しました。
長らく石の台座だけとなっていたため、同寺や市民団体が復活に乗り出し、金属工芸家の宮田亮平氏が新活人剣の碑を2015年に完成。
活人剣由来活人剣は日清戦争当時の中国全権大使李鴻章と日本陸軍軍医総監の佐藤進の物語に由来します。
暴漢に襲われて重傷を負った李鴻章を佐藤が治療した際、李が帯刀姿の佐藤に「医事に剣が必要か」と尋ねたところ、可睡齋で禅の修行を積んでた佐藤が「人をあやめる剣ではなく、生(活)かすための活人剣だ」と答えたことにより、李は深く感動し、交流は続いたということです。
この話に感銘を受けた可睡齋齋主が1900年、彫刻家の高村光雲に依頼して、剣の形をした碑を作ったが、太平洋戦争時の金属供出で剣の部分が失われ、長らく石の台座だけとなっていました。
このため、同寺や市民団体が復活に乗り出し、金属工芸家の宮田亮平氏が新活人剣の碑を2015年に完成しました。
名前 |
新活人剣 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0538-42-2121 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.1 |
新活人剣(しんかつじんけん)所在地 静岡県袋井市久能(可睡斎内)訪問日 2022/9/3長らく石の台座だけに成っていた、活人剣の碑でしたが、可睡斎と市民団体が復活に乗り出し、金属工芸家の宮田亮平氏が新活人剣の碑を2015年に完成しました。