名前 |
全昌寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.5 |
越後長岡出身「井上井月」の生い立ちや俳人になる経緯は不明だが、越後から江戸に出て、東海道で京に入り大坂から須磨へ、引き返して伊賀を経て美濃から木曽、北信を行脚し、1858~1859(安政5~6)年の37~38歳頃に伊那に来たと言われている。
上伊那の地では、いたるところで昼寝をすれば野宿もする浮浪の生活を続け、旧家や俳諧趣味の家などから酒食のもてなしを受けて日を暮らしたが、晩年には乞食の風体極まったとも伝えられている。
幕末から明治という俳人にとって恵まれない時代にあっても芭蕉を思慕し、句や書の理解者を得て伊那の土となった俳人だ。
そんな井月の日記に「明治17年7月16日全昌寺御開帳の祭礼にやって来」ての顛末が書き留められいるので、「井月百年忌に当りこの有縁の地に碑を建て」たという。
その句碑「雁鳴くや町の明かりの小田にきく 井月」(かりなくやまちのあかりのおだにきく)は、上伊那郡宮田村北割「全昌寺」に1988(昭和63)年7月16日建立された。