名前 |
井上井月句碑(春近大橋 東南親柱/東北親柱) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
「柳の家井月」「北越漁人」などとも号した「井上井月」は、1822(文政5)年に越後長岡藩で生まれ、1858(安政5)年忽然と伊那谷に姿を現し、以来南信州での放浪生活を続けて、酒を好み漂泊を主題に俳句を詠んだ俳人だ。
当地の女や子どもたちは「乞食井月」と忌み嫌ったが、趣味人の男たちの中には師事する者もいたという。
近世の俳諧沈滞期「月並俳句の時代」にあって芭蕉の再評価を目指した井月だが、影響を受けた後の文人に、「芥川龍之介」「種田山頭火」「つげ義春」などの名前があがる。
また、書も堪能で、富県村(現在の伊那市)「日枝神社」や西春近村(現在の伊那市)「地蔵堂」など寺社の奉納額を揮毫しているという。
1991(平成3)年3月竣工のここ「春近大橋」控柱(袖柱)には、井月の句がプレートになって埋め込まれている。
西春近側は、向かって右に「春風に待つ間程なき白帆かな 井月」(はるかぜにまつまほどなきしらほかな)、向かって左に「礎は亀よはしらは鶴の脛 井月」(いしずえはかめよはしらはつるのはぎ)だ。
東春近側は、向かって右に「降りかくす麓や雪の暮さかい 井月」(ふりかくすふもとやゆきのくらさかい)、向かって左に「暮遅き鐘のひゞきや村渡し 井月」(くれおそきかねのひびきやむらわたし)だ。