長崎原爆資料館の南側に隣接して平成8年に設置されま...
未来を生きる子らの像 / / / .
「未来を生きる子ら」未来を信じ、未来に生きる若者として、戦火の中で傷つき苦しめられたアジアの人々に、 そして、平和を愛し戦争のない世界を願うすべての人々にこの像を捧げたい。
戦後50年の春、「悲しき別れ一荼毘」に描かれた少女の一人、福留美奈子ちゃんの 母、志なさん(93才 京都府綾部市在住)の、「長崎に平和を祈るお地蔵さんをたてたい。
」 という願いをつづった一通の手紙が綾部中学校生徒会に届いた。
原爆にわが子を奪われた母 の思いを祈り鶴に込めて、ヒロシマへ修学旅行に行く私たちに託し続けてこられたおばあち ゃん。
過去の歴史と現実について学んできた私たちの胸に、おばあちゃんの願いは強く響いた。
その願いをかなえたいと、中高生の仲間、父母、先生、地域の人々が集まり「長崎にふりそで の少女像をつくる会」が生まれ、募金活動が始まった。
「像をつくって終わるのではなく、そ こから世界へ平和を考える輪を広げたい。
」そんな私たちの思いに共感して下さった全国の方 々の支援と、像制作にたずさわった多くの方々の熱意と努力によって、像は完成した。
核兵器 のない自由で平和な世界を願い、ナガサキから世界の青空へと舞い上がる二人の少女によって 人々の思いは一つに結ばれた。
この像がつくられた道のりこそ、平和な未来をつくる真実の道だと私たちは確信する。
1996年3月31日 長崎にふりそでの少女像をつくる会長崎市HPより。
名前 |
未来を生きる子らの像 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3030000/3030300/p005176.html |
評価 |
4.3 |
未来を生きる子らの像は、長崎原爆資料館の南側に隣接して平成8年に設置されました。
製作者は、 余江勝彦氏・余江径央氏です。
振り袖を着た二人の少女が空を飛ぶブロンズ像のモデルとなった少女の一人は、福留美奈子ちゃんです。
京都に住んでいた子ですが、両親が仕事で上海に行くことになり、長崎の親戚に預けられていたときに被爆して亡くなった女の子です。
美奈子ちゃんを預かっていた伯母さんは、亡くなった美奈子ちゃんに戦時中は着ることが許されなかった振り袖を着せ、同じく振り袖を着たもう一人の少女とともに火葬してもらうようにお願いし、やがて自分自身も被爆によって亡くなりました。