同じ通外町に住む井上伝が訪れる。
久留米の偉人。
「からくり儀右衛門」の名が城下に広まったころ、同じ通外町に住む井上伝が訪れる。
伝は久重に「従来の十文模様やあられ模様ではなく、新しい模様を織りたいので、知恵を貸してほしい。
」と頼む。
久重は、花や鳥などの美しい模様を織る「絵絣」という技術を開発し、伝に応えた。
久重は久留米絣のさらなる発展に一役かったのである。
平成29年6月10日訪問1799年に筑後国久留米に生まれ、幼少時から通外町の五穀神社祭礼でからくり人形の新しい仕掛けを次々に披露し人気を集め、九州、大阪、京都、江戸で興行して成功し全国に名を知られたそうです。
1834年に大阪、伏見に移り懐中燭台、無尽灯を作り「からくり儀右衛門」と呼ばれ、その後、京都で天文学、蘭学を学び1851年に完成した"万年自鳴鐘"(国の重要文化財)のレプリカが2005年の"愛・地球博"に展示され、オリジナルは国立科学博物館に寄贈されています。
後に佐賀藩では培った技術で国産のアームストロング砲を作り、1864年には久留米藩で軍艦の購入や銃砲の鋳造に携わり、1873年、東京銀座に後の東芝の前身となる、田中製造所を設立した久留米が誇る発明家
久留米が誇る偉人です。
名前 |
田中久重翁生誕地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0942-30-9000 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.kurume.fukuoka.jp/1080kankou/2015bunkazai/3030shuuzoukan/2013-1201-0947-552.html |
評価 |
4.3 |
1799年ここ通町十丁目でべっ甲職人の息子として生れた田中久重は、からくり儀右衛門の名でしたしまれた。
幼少の頃から機械をつくることが好きで、発明したものは、数えきれない。
なかでも萬年自鳴鐘時計の優れた性能は、目を見張るものがあります。
のち佐賀藩、久留米藩に登用され、その才能をいかんなく発揮します。
晩年は、上京し工場をおこし電信灯台用品の製造をおこします。
これが東芝の前身になる会社です。
久重は、明治14年82才で亡くなりました。