手入れされた綺麗な神社です。
突然の激しい夕立で拝殿を利用させて頂きました。
有難うございました、合掌。
生目八幡の扁額が掲げられてます 奥の白い建物には阿蘇神社の扁額がどっちが正しいの?
公民館に隣接していて駐車場もあります無人でしたが綺麗にお手入れされています境内にある大楠が迫力ありました。
村社 阿蘇神社 三井郡立石村大字干潟字下屋敷祭 神健磐龍命,素盞嗚尊,菅原神,多切理姫命,多紀都姫命,市杵島姫命,天照御魂神由 緒創立年月詳ならず,明治六年三月十四日村社に列せらる。
祭神素盞嗚尊は字町口に無格社素盞嗚神社として,菅原神は字下鶴に無格社天滿神社として祭祀ありしを明治四十四年一月二十五日合併許可。
多切理姫命多紀都姫命市杵島姫命は字黒士に無格社宮地嶽神社として祭祀有りしを大正十一年三月二日,祭神天照御魂神は字サノコに無格社左野子神社として祭祀ありしを大正十一年三月三十日許可を得て合祀す。
當社の由緒に就き社説の梗槪に曰く,肥後國宮地町に奉祀の官幣大社阿蘇神社は健磐龍命を祀り,往古より大社にして大宮司は代々神裔にして廣大なる社領あり,肥後の外薩摩,筑後の内にも社領多く,當干潟村も寛平の頃より社領たり。
降つて吉野朝時代戦亂の後菊池の豪族菊池氏の嗣子絶ゆるやm姻戚関係により阿蘇神社の大宮司惟職を子に譲りて肥後國隈府の太守となるや,其の祖神たる健磐龍命卽阿蘇神社を隈府干潟郷に勧請祭祀せり。
而して當村阿蘇神社は第百十六代桃園天皇の御宇寶暦八戊虎年十一月,肥後阿蘇神社の社領たること,又隈府干潟鎮座の産土神が阿蘇神社にして地名當村と同名なるに因りて茲に神殿を改築し,阿蘇神社の祭神を勧請祭祀して今日に及びたるものなり。
例祭日十月二十三日主なる建造物神殿,弊殿,拝殿境内坪数二百九十坪,官有地第一種氏子区域及戸数大字干潟,大字佐々古,大字下鶴,径百八十八戸境内神社生目八幡神社(景清靈神)福岡県神社誌 中巻_________________________狛犬A:「大正十一年 一月吉祥日」「石工 花立 徳永文太郎 小塩 髙浪傳三」一の鳥居:「阿蘇宮」「平成四年三月再建」「奉寄進■■中」二の鳥居:「祗園神社」「奉再建 氏子中」「平成二十年八月吉祥日」狛犬B:「文化十二歳 亥十一月■■ 當村産子中」「石工 大石邑 ■(秦?)𠮷次■■ ■■■」生目八幡神社狛犬:「願主 福永伊三郎 石工 原田伊勢𠮷 同 梶原初太郎」「明治 ■■■」石祠:「文政八酉年 六月吉日」
名前 |
干潟阿蘇神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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手入れされた綺麗な神社です。
地元の方のご努力だと思います。
阿蘇神社と生目神社があって、どちらも立派な社殿があります。
阿蘇神社の祭神はタケイワタツです。
生目神社は生目入彦です。
(八幡と書いてあるので誉田別もあるかもしれません。
)二つの神社の関係がわからないので、其々の先祖をみてみました。
タケイワタツの父と生目入彦の高祖父が同じ人になりますが、一緒にある経緯はわかりません。
神紋は阿蘇神社は違い鷹の羽で元宮と同じですが、生目神社は五芒星のような神紋で元宮とは違います。