道沿いに有り、とても小さな観音様です?
住宅街の中、信号の無い交差点に突如現れるという感じです。
浜松の歴史の一幕を感じます。
祈願石というものがあるのを知りませんでした。
椿姫u003dお田鶴の方👸夫の曳馬城主/飯尾豊前守連龍の死後は女城主、1568年(永禄11年)、家康が遠江進攻、お田鶴の方主従が籠る曳馬城に対し開城明け渡しを申し入れ、お田鶴の方は徳川方の申し入れを撥ね付ける❗️徳川方は曳馬城に総攻撃、お田鶴の方は薙刀片手に侍女達と奮闘も多勢に無勢城兵と共に討死⚔️⭐️伝承⭐️お田鶴の方の椿屋敷に家康が観音堂建立、家康の正室/築山殿が義理の姉妹であったお田鶴の方の死を哀れみ塚の周りに100本の椿の株を植え、毎年、椿の花が咲き誇った事が椿塚u003d椿姫の名の由来とは😢観音堂内も綺麗にされていて、街角に佇む御堂、皆さんに大切にされていると実感✨その後、椿を植えた築山殿も非業の最後を、哀愁の歴史😢
討ち死にした城主田鶴の方と侍女たちを椿を木を植え弔ったのが始まりだそうです。
チャイム(スイッチ)を鳴らすと案内アナウンスが流れると書いてありましたが、流れませんでした😭
戦国時代に浜松市の真ん中から南部を支配していた今川家の重臣「飯尾豊前守」の奥方「お田鶴の方」と侍女18人を鎮魂のため祀った観音堂。
場所が分かりにくく駐車スペースもないため歩いて行くことになります。
一坪あるかないかの土地に建っていて、お堂だけが目立ちます。
由来期もあり、浜松祭りで大凧を揚げる風習は飯尾豊前守にお子さまが産まれたことを寿ぐために行われたとあります。
長く地元の方々が丁寧に祀られて現代まで残っている素晴らしいお堂です。
浜松市観光の際はぜひ。
「女城主」と聞くと、徳川家康に攻められた際に十八人の侍女と共に引間城を守りつつ、壮絶な最期を遂げたお田鶴の方(後の椿姫)、NHKの大河ドラマにもなった井伊谷城主の井伊直虎、そして甥の織田信長に命を絶たれた岩村城主のおつやの方の三人がまず思い浮かびます。
不遇な死を遂げたお田鶴の方を偲びつつ、椿姫観音に般若心経を唱えさせて戴くとき、井伊谷城跡に佇み井伊谷の里を眺めつつ城主直虎を偲ぶとき、岩村城跡から城下の町や恵那山を眺めつつおつやの方を偲ぶ時、奇しくも国道257号線上で結ばれた浜松市の元浜町と引佐町、そして恵那市岩村町に、それぞれ違う生き様を描いた「三人の女城主」の見えざる縁を感じざるを得ません。
家康公ゆかりの地だけあって地元の方の管理がすごく行き届いています。
地元の方に感謝します🙇それと祈願石もありますのでまた 行ってみて下さい😃
浜松の歴史の一部が分かります。
🅿️がないので歩きで訪ねた方が良い🎵
道沿いに有り、とても小さな観音様です😌
家康相手に打って出たという、勇気ある姫の力付けられました。
椿姫とは、引間城第5代城主で女城主であったお田鶴の方のこと。
お田鶴の方は永禄11年(1568)に徳川家康公に攻められ討ち死にした。
家康公の正室、築山御前はその死を哀れに思い、塚の周囲に百株余りの椿を植えてお田鶴の方の霊を祀ったことから、椿姫観音と呼ばれている。
本当に小さな小さな観音様です。
地元の方がしっかり管理されている様子。
悲しい女傑の話があるのですが、こういうのは観光地と考えてはいけないのではと思いますので敢えて中間の星三つにさせていただきます。
家康の浜松入城前(引馬の城主)飯尾豊前守連竜の妻。
連竜亡きあと城と運命を共に討死した場所には椿観音の祠が建つ。
徳川家康公 所縁の地。
最後の曳馬城主、椿姫にまつわるお堂。
参拝した方は、浜松の歴史に目を通すのが良いと思います。
いつも生花が絶えないので、地元の方が手入れされているのだと思います。
名前 |
椿姫観音堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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お田鶴の方を祀った観音堂。
日中にピンポンを押すと地元ボランティアの方による解説が聞けるそう。
解説文や社の手入れは行き届いておりパワースポットの石もあるため小さいながら存在感がありました。