今川義元と家督を巡って争った玄広恵探が住職を務めて...
説明書よりーーー曹洞宗 華藏山 偏照寺新西国三十三ヶ所礼所二十番千手観音今川氏二代範氏その子氏家の菩提所遍照寺縁起一 飛宗 真言宗期の華藏山遍照光寺開墓範氏の花倉に進出は正平九年 (文和三年 ) 西紀一三五四年と推定されている。
花倉館花倉山莊遍照光寺、八幡神社と創建した。
開山朴艾思惇律師(京都泉涌寺十二世長老)。
大津慶寿寺と開師を開山として範氏が制建せららている。
共に泉涌寺の末寺で遍照寺住職が慶寿寺住職を兼務し、又泉涌寺長老に出世した方が多い。
在住した名僧賴忠律師(今川義忠の弟)賴覚律師 南江律師(賴忠の法弟 泉涌寺五十五世)天林律師(泉奘和尚の師)惠探大德(遍照光寺今川七代氏親子良真氏)泉奘和尚(義忠二男 泉涌寺六九世)永禄十一年(一五六八年)春 武田氏の兵火により花蔵館と共に焼失す、記録一切焼失す。
住僧惠進比丘唐招提寺に逃れ(泉奘和尚在任) 今に記録を残す。
二 曹洞宗華藏山遍照寺中興開山補山孝順和尚(稲葉心岳寺四世)推定 元亀二年(1571)か三年(1572)山崩れの為、墓地、寺院建造物埋没す。
十三世南国異山代 安永六年八月(一七七七年)八幡神社棟札による。
十五世林峯泰禪代文化十三年二月十三日 綸旨を賜ふ。
復旧に二代を要したらしい。
三昭和四十八年秋 今川範氏公並今川氏家公の墳墓発見昭和五十三年八月 今川氏遺跡顕彰会発足仝年十二月 範氏公、氏家公の墓石を補修して改葬。
花倉の乱のもう一人の主役玄広恵探が住んでいたお寺付近も今川家の根拠地として栄えていたのも今は昔、現在はひっそりと佇んでおりますまた、今川範氏・氏家の墳墓もあります。
名前 |
偏照寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
054-638-1085 |
住所 |
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評価 |
3.3 |
今川氏のお家騒動である「花倉の乱」で、今川義元と家督を巡って争った玄広恵探が住職を務めていた寺。