霊験あらたか、島原遊郭の守り神。
島原住吉神社の特徴
享保17年に建立された霊験あらたかな神社です。
島原遊郭街西門前にひっそり佇んでいます。
ドレッドヘアの狛犬が特徴的な小さなお社です。
享保17(1732)年に建立。
当初は島原参詣のために多くの方が訪れた。
現在の規模は縮小されて祀られている。
狭いですがしっかりと整備されていて島原の人々の厚い信仰を伺える神社です。
此処に島原七つの文芸碑めぐりの5番目(島原住吉神社)と6番目(境内にある幸天満宮)の碑があります。
社務所の窓に昔の古い写真があり往時の島原を垣間見ることが出来た。
(2023年6月末再訪)
霊験あらたか。
広大な卸売市場の裏、静かな住宅街の中に、歴史を背負って立ち続けている神社。
それもただの神社ではない。
かつてあった、島原という傾城遊郭の中にあり、女性たちが心の拠り所とした神社。
小さい神社なのに、不思議な深みと厚みがオーラのように感じられる。
狛犬がなんともユニークで可愛い。
ここに夜参りしたおかげで、近くの名所のような割烹に、予約なしで奇跡的に入ることができた。
島原遊郭西門跡にある神社です。
とても綺麗に手入れされ、石碑には現在に至る紆余曲折が解りやすく書かれ、島原散策には良い場所かと。
近くのお店で食事しようと思い、通りがかりに見つけた神社。
嵯峨野線・丹波口駅から歩いて5分とかからない所にあります。
島原と呼ばれる元花街があったことが、名前の由来のようです。
こじんまりと静かな佇まいながらも、神社入り口には由緒がかかれた立派な石碑が設置されています。
鳥居をくぐるとすぐ右手に、手水場がありましたが、水は出ていませんでした。
鳥居、拝殿、社殿と一直線に並び、間が狭いです。
ちょっと趣のある狛犬もありました。
21年10月8日に訪れました。
境内社・幸(さいわい)天満宮がありました。
『島原住吉神社』の隣に島原西門碑もありました。
街並みの外れにひっそりと佇む神社です。
住吉社なので水に関係する神社なのかなと思います地理的や歴史的な背景を改めて調べてみたいです。
島原遊郭街西門前に祀られている神社です。
JR 丹波口駅近く。
街中ではちょっとした中規模の神社だ。
かつて島原遊郭で働いていた 女性達が参拝し、心の安らぎを得ていたんだろうか。
島原界隈の西の入口にどっしり。
小さいながら雰囲気がいい。
大変素晴らしい、神社です❗
島原の一角にある小さなお社です。
裏にはご神木の大銀杏と弁財天も鎮座。
本当に小さな神社ですが、島原遊廓の太夫さん達の守り神なんでしょうね。
島原遊郭の西大門跡前に建つ神社。
A special jinja near by road.
ドレッドヘアの狛犬がいます^_^ ヒビが入って何箇所か欠けていますがそれがまた味でいいですね〜。
名前 |
島原住吉神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-352-1012 |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
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島原住吉神社は、もと島原中堂寺町の住吉屋太兵衛の自宅で祀っていた住吉大明神が、霊験あらたかにして良縁の御利益があり、参詣者夥しきため、享保17年(1732)祭神を島原の西北に遷座し建立されたものである。
その規模は、南は道筋(島原中央の東西道)から、北は島原の北端にまで及び、広大な境内地を有した。
爾来島原の鎮守の神として崇められ、例祭とともに、太夫・芸妓等の仮装行列である「練りもの」が盛大に行われていた。
ところが、明治維新後の廃仏毀釈により、神社株を持たない当社は廃社となり、祭神を歌舞練場内に祀ることとなった。
しかしながら、地元の崇敬心は篤く、明治36年(1903)には、船井郡本梅村から無格稲荷社の社株を譲り受け再興した。
ただし、現在の狭い境内地となリ、正式社名も住吉神社は認められず、稲荷神社とされた。
平成11年(1999)には、社殿、拝殿を改修のうえ、社務所も新築し、境内の整備がなされた。
同13年には、懸案の社名を島原住吉神社と改称し、旧に復することとなった。
平成十三年十一月吉日島原伝統保存会成章住吉の 松の常盤に 春はなほ 色香あらそふ 神垣の梅富士谷成章(国学者 1737~1779)Shimabara Sumiyoshi Shrine was originally enshrined in the home of Sumiyoshiya Taihei in Shimabara Chudoji-machi. was relocated to the northwest of Shimabara. Its scale stretched from the road (east-west road in the center of Shimabara) in the south to the northern end of Shimabara in the north, and had a vast precinct. Since then, it has been worshiped as the guardian deity of Shimabara.However, due to the anti-Buddhism movement after the Meiji Restoration, our company, which did not have a shrine stock, was abolished, and the enshrined deity was enshrined in the Kaburenjo.However, it was deeply revered by the locals, and in 1903 (Meiji 36), Mukaku Inarisha was revived by taking over the shares of Mukaku Inarisha from Honba Village, Funai County. However, due to the current narrow precincts, the official name of the shrine was not recognized as Sumiyoshi-jinja Shrine, and it was assumed to be Inari-jinja Shrine.In 1999 (1999), the shrine and worship hall were renovated, the shrine office was newly built, and the precincts were improved. In 2013, the name of the pending issue was changed to Shimabara Sumiyoshi Shrine, and the old name was restored.Sumiyoshi's pine tree Tokiwa spring flowersShigeaki Fujitani (Kokugaku scholar 1737-1779)