祇園祭の間のほんの一時期開かれる御神水の井戸。
【2020.07初訪】歩道のわきにある井戸。
70メートル地下から湧いている水は飲めるそうですが、飲み方がわかりません(汗)
祇園祭の間のほんの一時期開かれる御神水の井戸。
コロナ禍の今年はどうされるのか?大政所御旅所には斎竹が立てられていたが…。
オヒィス街に祇園祭限定の名水「御手洗井戸」があります。
案内板を読んで大切に維持されていることがわかりました。
此の井戸が此の周辺の町名「御手洗町」の由来になってます。
祇園祭にゆかりのある名水★毎年7月14〜24日のみ解放される。
祇園祭限定の名水 御手洗井戸御手洗井戸は、御旅所の社務・藤井助正の邸宅にあった井戸で、助正は邸内に八坂神社の神を祀る祠を立て、毎朝この霊水を献じていたそう。
1568年に織田信長が上洛した際に御旅所は移転をされますが、この井戸の水が格別であることを聞き及んだ信長は、祇園祭の時のみこの井戸を一般に開放させたといわれています。
以後、連綿とその風習が続いてきましたが、明治の終わりに烏丸通を拡張する際にもとの場所から東に移し、現在のように通りに面した井戸となりました。
こんな街中のビル街に突然現れます。
神社ではなく、神聖な水の湧く井戸があるのみ。
祇園祭の時に鍵が開けられ、水が汲み上げられるそうです。
都市計画に伴う道路拡幅、商業ビル建設ラッシュ、そんな時代の流れの中、大切に残してきた町衆の強い意志を感じます。
高層建物の一画にひっそりと鎮座する井戸。
しめ縄を掛けて大切に維持されている様子、『御手洗町』この一画の地名の由来にも、いかに重要な役割を担った井戸なのかと感銘を受けます。
祇園祭の宵々山(七月十五日)から還幸祭(同二十四日)の間だけ開放される井戸がある。
オフィスビルが立ち並ぶ一角。
鍵がかかった木の柵の中に、しめ縄で飾られた石の鳥居があり、額には「八坂神社 御手洗井」と記されている。
鳥居の奥に井戸があり、くみ上げた水が絶えることなく流れ出ている。
この地には、かつて祇園御旅所があり、祭られている牛頭(ごず)天皇に、毎日この井戸の水を霊水として供えていたという。
一五六八(永禄十一)年に御旅所を移転させた織田信長も、水質が良いため、祇園祭の間は井戸を開放させたとされる。
管理しているのは、井戸が町名の由来になった「手洗水町」の人たち。
毎年七月十五日に、遙拝式という井戸開きの儀式を営み、しめ縄を新調して、ちまきやトビウオの干物を供える。
井戸の二件隣にある呉服製造卸会社「安田多七」の安田守男会長(74)は「小規模ですが、私たちにとっては祇園祭の大事な儀式です」と話す。
名前 |
八坂神社御手洗井 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
20220719 0805三年ぶりに御開帳しはった御手洗井お詣りしてからお水いただきました身体に沁みわたります。