南から少し長い参道を経て拝殿になります。
東側の道路から入り、南から少し長い参道を経て拝殿になります。
神明社の参道の東側に磨ニ天稲荷の参道があります。
道路近くですが、境内の木々から小鳥や虫の鳴き声が聞こえました。
旧村社。
県道355号線沿いに境内を見ると、境内社の「磨二天稲荷」の鳥居が見えてきます。
神明社の神明鳥居は、県道沿いの駐車場と社務所の奥(西側)で、表からは木立の陰で見えませんでした。
神明社の由緒については、日本武尊の東国平定ののち、この地を通ったとき、高台に島を見立て、祠を建てて天照大神をまつったという。
当地は昔、神流川、身馴川(小山川)、利根川等の水害にみまわれることが多く、そのたびに近隣住民は当社に避難したという。
郷土の産土神として、永く氏子の信仰の拠りどころであります。
との事です。
神明社造営記念碑に、平成十五年の日付で、県道355号線の拡幅工事に伴い境内の移転保障もあり、老朽化もしていた社殿諸々を新築した旨が記載されていました。
名前 |
矢島神明社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.0 |
矢島神明社御祭神 大日孁貴命境内社 磨二天稲荷神社 八坂神社末社 富士嶽大神 十二祖大神 御嶽山大神 外十余の末社由緒日本武尊の東国平定の後、この地を通った時、高台を島に見立て、祠を建てて天照大神を祀ったといわれています。
当地は昔、神流川、身馴川(小山川)、利根川等の水害に見舞われることが多く、そのたびに近隣住民は当社に避難したといいます。
大塚島・内ヶ島との境の字十二艘には十二祖所という社があり、岡村との境の小字八島護には八島護神社という小祠があり、明治初年に当社境内へ移転されました。
小山川に望む小字精進場は禊斎所の跡といわれています。
江戸時代には安部摂津守の領地となり、摂津守の篤い崇敬がありました。
天正年中(1573~1592)に火災に見舞われましたが、神木の欅の大樹は焼け残り、現在は高さ一丈五~六尺、廻り一丈八尺余りの残部が社前に存します。
(サイト「Fukapedia」参照)