東海道唯一の海道にロマンを感じます。
東海道五十三次の船旅であった七里の渡し(宮宿(名古屋市熱田区)と桑名宿(桑名市)を往復する航路だったようです)の渡船場跡です。
ここの大鳥居は「伊勢国一の鳥居」と呼ばれ、伊勢神宮の遷宮の際に使用された木材が再利用された貴重な鳥居のようですよ。
ここから、お伊勢参りが始まったのでしょうね。
熱田神宮の南側にある宮の渡し(七里の渡し跡)からこの桑名の渡しまで七里(約28km)あったことから七里の渡しと呼ばれています。
当時は熱田より西は河川と入江に阻まれ陸路の往来が難しかったので江戸期以降この渡しが整備されたんだと思います。
元旦の熱田神宮を参拝したあと、せっかく熱田神宮の七里の渡しを見学したので思い立って桑名の七里の渡しまでバイクで来てみました。
熱田神宮→R247→R23→桑名七里の渡し→R1→熱田神宮現在の陸路でもまあまあ距離があり海路を想像しながら走りました。
桑名側の七里の渡しは風情があり、当時の賑わっていたころの名残があるはまぐりの名店や居酒屋のある通りを抜けた先に、大鳥居と渡しの石碑がひっそりと在りました。
車の方は石碑付近には駐車場は無いので、桑名城址付近の駐車場に停め、芝生の広場を抜けて来られることをおススメします。
東海道の要所で会った七里の渡し跡、伊勢神宮の一の鳥居があるなど、歴史的価値がある場所ですが、その遺構は、少し寂しいように思います。
もっと資料展示や説明掲示をして、積極的に売り出しても良いのではないでしょうか。
旧東海道唯一の海路が熱田の宮宿からここ桑名宿まで七里(27.5km)に渡ってあった。
鳥居は伊勢神宮の一の鳥居で伊勢國の玄関口である。
七里の渡しは4時間から6時間の航海であったらしい。
きっと鳥居が見えた瞬間安堵したことだろう。
三重県桑名市にある七里の渡跡に行きました。
東海道五十三次で知られる宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)までの海路でした。
天候の悪化などにより、海難事故がしばしば発生する東海道の難所の一つであったみたいです。
ここの大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。
ちょうどガイドさんがいて伊勢神宮で使われた鳥居⛩をここ七里の渡跡で使っていると言っていました。
この辺りは道等もよく整備されていてすごく綺麗です。
揖斐川、長良川、木曽川もすぐ近くで見る事ができます。
七里の渡跡の北、県道613号沿い住吉浦休憩施設に無料駐車場があります。
歩いて5分くらいでとても近いですよ❗️
資料館等があるわけでもなく、ただの河原の船着き場跡です。
しかし、ここが旧東海道の渡しと思うと、歴史好きには価値がありあます。
整備は行き届いていて、ゴミひとつなくきれです。
東海道に海路があったんやなーなんで陸路ではなかったのかが知りたい!
三重県桑名市にある七里の渡し跡。
ここ桑名宿から愛知県名古屋市熱田区の、宮宿(宮の渡し)まで結ばれる航路が七里だったことから「七里の渡し」と呼ばれています。
この海の航路は東海道であり、かつての官道である。
そしてこの渡しから伊勢の国が始まることから、伊勢国一の鳥居が設置されている。
七里の渡し(しちりのわたし)は東海道五十三次で知られる宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)までの海路で、かつての官道。
この渡しの宮宿側、または、桑名宿側の渡船場のみを指して「七里の渡し」と呼ぶことも多い。
江戸時代においても陸路を使うことは可能であったが、あえて船賃が掛りかつ海難リスクを伴う海路を利用する目的は路程にかかる時間の短縮にあった。
後述のように海上を避ける迂回路としては、脇往還の佐屋街道があったが一日の行程を要した。
東海道五十三次四十ニ番目の宿場/桑名宿、七里の渡し~旧東海道界隈、蛤料理専門店もあり、のんびりブラブラするには九華公園も含め楽しい良いとこです😄
事前に地理、歴史の知識があると価値がわかる公園です。
木曽三川の治水の歴史が解説されています。
ここから伊勢国ということで、一の鳥居がありました。
公園としては、広場と碑があるだけです。
再現された櫓がありました。
地元の方の憩いの場所のようです。
桑名市で一番好きな場所です。
式年遷宮で建て替えられる伊勢神宮一の鳥居は僕のパワースポット。
旧東海道42番目の宿場町桑名と41番目の宮宿(熱田)を結んだ唯一の航路です。
ここから伊勢だーって感じですね。
東海道唯一の海道にロマンを感じます。
また、木曽三川の治水工事の歴史について勉強になりました!
東海道の目印あり!歴史を少し感じる。
旧東海道の七里の渡後です。
公園もあり、伊勢の国の入り口として栄えた所です。
学校で習った東海道七里の渡し 桑名側の渡船場跡!伊勢国の入り口ということで鳥居伊勢国一の鳥居が構えられ、旅人を受け入れていたんですね。
伊勢神宮の20年に1度の式年遷宮時に伊勢神宮の鳥居を運び、建て替えられているそうです。
桑名城跡の公園も徒歩圏内で、合わせて見てほしいところです。
2020/1/3歌行灯で蛤料理を食べに来ましたが、待ち時間がかなり有ったので、七里の渡しへ。
静かな所でした。
熱田の七里の渡しよりは広々としていて景色は良かったです。
風情があり少しだけ散歩しました😄
熱田の宮の渡し跡訪問後、ここにもきてみた。
風の強い日だった。
昔はこんな日は渡し船出てなかっただろうぁとか、思いを馳せられた。
海岸線も全く変わってるし、昔日の面影は無いけど、やはり訪れる事ができて良かった。
愛知県の宮宿(熱田)と桑名を結ぶ渡し場の跡。
海路で7里(約26km)あることから、「七里の渡し」と呼ばれていました。
今の海岸線をみると、かなり遠回りに思われますが、当時は海岸線がかなり北にあったため、ほぼ最短経路で、3~4時間ほどの船旅だったようです。
ちなみに、宮から陸路で佐野まで陸路を行き、佐野から桑名まで三里を船で行くコースもあったそうです。
歌行灯で蛤料理を食べに来ましたが、待ち時間がかなり有ったので、七里の渡しへ。
静かな所でした。
熱田の七里の渡しよりは広々としていて景色は良かったです。
ハッキリいって大したものがない。
鳥居があるだけって感じで、この鳥居も昔からここにあったものでもない。
何かのついでに立ち寄るくらいがちょうどいい。
周囲の旧跡(春日神社等)と併せて、交通の要衝として栄えた歴史を感じられるには、割と想像力が必要だ。
近くに昔の花街の名残で料亭などがあるが、町並みというほどでもない。
七里の渡し跡自体は特にいろいろ有るわけではありませんが、川沿いに遊歩道が続いているので周辺の史跡まで散歩するのに最高。
桑名駅から約2キロの場所にある。
揖斐川・長良川沿い。
桑名城跡から近い。
渡し船があるようだが,平日の昼間に歩いた時点では,全くその気配はなかった。
落ち着いた開放感ある場所である。
桑名城跡のついでに散策するのが良い。
なお,近くに,銭湯がある。
かつて東海道は熱田と桑名間の7里は海路が利用されて賑わっていました。
歴史的に情緒が有って桑名城址のすぐ側にあり桜の季節は最高です。
デートにはもってこいかな! 有料駐車場もあるけど市の無料があちこちにあるから便利です。
慶長6年(1601年)、江戸と京都を結ぶ東海道が制定され、宮宿(今の名古屋市熱田区)と桑名宿の間は渡船にて、海路で結ばれていました。
(その区間の距離が七里であったことから、七里の渡しと呼ばれるようになったそうです) また、ここは伊勢国の東の入口にあたるため、伊勢神宮の「一の鳥居」が建てられ、以後伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。
(最近では平成25年) 確か、桑名市民会館の緞帳には東海道五十三次の桑名宿の浮世絵が描かれていたと記憶しています。
伊勢国の東の玄関口として位置付けられ、伊勢神宮の「一の鳥居」が設置されている。
Wikipediaより。
紅葉は11月頃が見頃だとおもいます。
周辺の景観もあいまってなかなかノスタルジーな感傷にひたれます。
『ブラタモリ』で熱田側の七里の渡しを観たばかりだったので通常よりもテンションがそれなりに高かったことは否めない。
桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)を結ぶ海路7里の渡船場跡。
鳥居を正面から観ると心が洗われるようでした。
名古屋(宮)七里の渡のクルージングでした。
京都から徒歩旅で桑名まで…焼き蛤を食べてから、ここの七里の渡跡にたどり着いた時は感動しました。
七里の渡跡 桑名宿は、東海道五十三次の内で名古屋側の宮宿と、ここ桑名宿を船便で結ぶ唯一の海路区間として特徴的な史跡です。
名前 |
七里の渡跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.kuwana.lg.jp/kanko/miru/kankospot/kanko009.html |
評価 |
3.7 |
熱田神宮から、ここまでは船で渡ったという東海道唯一の海路の渡し跡。
近代化以降の新しい堤防で、当時の雰囲気は味わえないものの、東国から来た旅人がここの鳥居をくぐって伊勢国に入るので一の鳥居と呼ばれていることを思うと、感慨深い場所ではないかと思います。
なお、この鳥居は伊勢神宮の20年ごとの式年遷宮で使用された用材で建てられているとのこと。